『(五月)十三日 天気明。巳の剋(みのこく・午前十時)ヨリ平泉へ趣く。‥‥。高館・衣川・衣ノ関・中尊寺・光堂(金色寺、別当案内)・泉城・さくら川・さくら山・秀平(衡)やしき等を見る。泉城ヨリ西霧山見ゆルト云えドモ見ヘズ。タツコクガ岩ヤヘ不ㇾ行。三十町有る由。月山・白山ヲ見ル。経堂ハ別当留守ニテ不開。金鶏山見ル。シミン(新御)堂、尤量劫院跡見。申の上剋(さるのじょうこく・午後三時四十分頃)(一関の宿に)帰ル。‥‥』
〇「さくら川」 どこにも発見できなかったが、後日柳御所遺跡の立体地図案内板を見ていて気づく。↓北上川が屈折する地点に接して高館(義経最期の地)があり、その小山の上方に接して小さな川がある。それが「さくら川」。平泉の街の中を流れていることになるが、今は川としては流れていないと思う。さらに上に流れる川が衣川。
〇「さくら山」 この山も現地では分らなかったが、家で写真整理をしていて気づいた。西行の歌にヒントがある。↓中尊寺月見坂にある西行歌碑。
《きゝもせず束稲(たばしね)やまのさくら花 よし野のほかにかゝるべしとは 西行》
↓高館の山上から眺めた束稲山。手前に北上川が流れる。この束稲山こそ別名「さくら山」なのだ。
〇「秀衡やしき等」 伽羅御所・柳御所のこと。紹介済み。
〇「タツコクガ岩ヤ(達谷窟)」へは芭蕉と曾良は行かなかった。が、ボクは行った。後で紹介。→リンク先http://takashikun.blogspot.jp/2015/05/blog-post_85.html〇「月山・白山」 白山は遂に分からず仕舞い。↓衣川の上流を望見しているが、左側に小富士の様な形の小山が見える。これが月山らしい。その近くに泉城があるそう。
〇「金鶏山」 伝説がある。
〇「新御堂」は分からず。
〇「尤量劫院(無量光院)跡」
↓無量光院跡
↓「観自在王院跡」
〇随行日記の金色堂・経蔵探訪の章段の記述に由々しき問題がある。「中尊寺・光堂(金色寺、別当案内)」とあるのに、「経堂ハ別当留守ニテ不開」とある。芭蕉は両堂を拝観したと述べている。寺の職制として別当が一人しかいないのならこの曾良日記の記述は矛盾である。光堂を案内する係の別当と・経堂の鍵を開ける係の別当と別々にいたということか。
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