2015年5月29日金曜日

〇《奥の細道》紀行・奥州路(33) 平泉(七)「中尊寺」(A)「弁慶堂」「西行歌碑」

〇↓中尊寺・月見坂登り口。幾らGWでも人混みが半端でない。実は「藤原祭り・義経東下り行列」が金色堂前まで登って行く日だった。

 「関山・中尊寺」
 月見坂

 ↑八幡堂。元、前九年の役のとき、源頼義・義家が戦勝祈願した八幡神社(祭神は神仏混淆して八幡大菩薩と称された)。明治の神仏分離の時、八幡堂となり、阿弥陀如来も合祀。

 〇↓「弁慶堂」

 「弁慶像は文治五年四月高館落城と共に主君のため最後まで奮戦し衣川中の瀬に立往生悲憤の姿なり」とある。中尊寺では、弁慶は衣川で独りで大軍を引受けて憤死したという伝説を採用していることになる。


 ↓「亀井六郎笈」「この笈は、義経主従が山伏姿に身をやつして奥州平泉に下るとき、使用したものと伝えられている」この中に仏像・経巻・使用品を入れて背負った。昔の人は体は小さかったろうに、強靭で持久力があったもの。
↓東物見台。衣川と北上川が見える。
 ↓物見台に西行歌碑を発見。

 《きゝもせず束稲(たばしね)やまのさくら花 よし野のほかにかかるべしとは 西行

 ↓中尊寺の幾つかの塔頭寺院の一つ。茶屋・喫茶店と云う感じ。
 この塔頭で「奥の細道展」をやっていた。それがなかなかの内容。松尾芭蕉の真筆も二点ほど所有している模様。

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