2016年8月5日金曜日

〇《奥の細道紀行》2016.7.16(土) 新潟護国神社の「芭蕉堂」

〇芭蕉と曾良は新発田市築地から水運を利用して新潟に至り宿泊した。このくだりは曾良随行日記には次のように記してある。
二日 辰ノ刻(午前8時)、(築地を)立。 ‥‥昼時分より晴、アイ風出。新潟へ申ノ上刻(午後3時過ぎ)、着。一宿ト云、追込宿之外ハ不借(追込み宿のほかは宿を借れず)。大工・源七・母、有情、借。 甚持賞ス。』 大工の源七の母親が情ある人で宿を貸してくれた。
〇「アイの風、出る」との記述から舟便で新潟に着いたことが推察される。当時築地から新潟までは沼・潟・河を繋いだ水運が発達していた。そのことは前章の「築地宿」で述べた。
大工源七の家が新潟の何処にあったかを知ることはできない。新潟で芭蕉を記念するものを探すのは難しい。ようやく探し当てたのが護国神社の「芭蕉堂」。
↓新潟護国神社・二の鳥居
 拝殿
 ↓護国神社としては全国屈指。「芭蕉堂」を発見するのは至難だと見て「おはらい受付所」に寄った。巫女さんが懇切に教えてくれた。
 ↓二の鳥居を潜って一の鳥居に向うんだそう。
 ↓途中で横に入る所がある。
 ↓入って探すと分る。そうだがちょっとやそっとでは分り難い。
 ↓発見

 ↓「新潟名所・芭蕉堂 俳聖芭蕉翁元禄二年新潟に来りて文化の種をまきしを記念して。現存する芭蕉翁の記念堂としては日本一の大きな建物なり。永久保存のため堂の中は全部コンクリートつめにして中に翁の肖像画と由来書を銅筒に入れてあります。‥‥。昭和41年5月 吉原芳仙自費(500万円らしい)建設して新潟市へ寄贈す。」


↓側面に嵌め込まれたレリーフ 《海に降る雨や恋しき浮身宿 芭蕉》 芭蕉が新潟に滞在したことに因む句だと言われている。
↓芭蕉と曾良の旅姿 芳仙は画家
 ↓近くに蓑塚がある

 ↓左に「芭蕉堂」、右に「蓑塚」 
 ↓一の鳥居に近い

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