2016年8月9日火曜日

〇《文化財探訪》2016.7.2(土) 河内長野市「岩湧(いわわく)寺」 道も途絶える深山にある神秘の伽藍

〇岩湧寺には驚かされる。セレナで登るのが不安になる細い山坂道がずっと奥山まで続き、とうとう道が途切れる山奥にこの寺がある。それが古刹なのである。ボクが重文の多宝塔にお目にかかりたくてわざわざ奥山に分け入って来たのだから古刹に違いない。
↑「岩湧寺 この寺は、岩湧山北側中腹に位置し、文武天皇の勅願寺で役小角の開基であるとされている。境内には本堂(市指定文化財)、多宝塔(国・重要文化財)、庫裡が配置され、本堂は江戸時代初期のもので本堂内にある厨子は室町時代後期のものと言われている。多宝塔は天文年間(室町時代1532~1555)頃の建築であり、多宝塔の本尊である大日如来坐像(国・重要文化財)は、桧材寄木造像高88.7cm・金剛界像で平安時代末期のものである。同じく塔内の愛染明王坐像(市指定文化財)は鎌倉時代の作である。又、境内の杉林は、樹齢400年以上‥これだけの老木の林はここだけしかみられない‥」
↓ 奥山の森深くに重文・多宝塔が抱かれるように建っている。神秘的。どうしてこんな山奥にこのような文化財が維持されてきたのか。多宝塔が建ちその本尊が大日如来とくれば檀家檀徒で護持される寺では決してない。来てみれば分るが観光寺院でもない。加持祈祷で保ってきたに違いない。その加持祈祷は現代社会では顧みられない。この寺院が現代まで維持されてきたというその事実に感動し神秘を覚える。果たして将来も維持され続けるだろうか。多分維持される、それが日本文化というもの。
↓多宝塔・重文






↓本堂






↓本坊・庫裡




↓鐘楼


↓岩湧寺の大榧(おおがや)。超高級の碁盤は榧の木から作られる。これだけの大木だと分厚い碁盤が一体何面取れるか想像もつかない。中が腐ってなければ、この大木の時価は億の上をどこまでいくか、見当がつかない。

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