門松が設えられて正月の装い。
一の鳥居
宇佐神宮となると「道鏡」「和気清麻呂」に登場してもらわねばならないが、彼らが主人公となった「宇佐神宮神託事件」なるものの実態の評価についてはなかなか難しい議論がある。今ここで軽々しく論じられるような話ではない。
清流・寄藻川を渡り、境内に入る。
二の鳥居
漸く手水場に至る。
右に行くと「呉橋」がある。
神楽のお囃子が聞こえてきた。
「麻生神楽」を演じていた。実は神楽を見学するのは初めて、いつまでも見ていた。
子供に福を授ける。子供達は不思議と泣かない。
母親も担ぎ出された。
下宮への鳥居・三の鳥居
本宮へ
若宮神社
四の鳥居
神門
向かって左側の神門に対し正対している建物。
神門に正対する左側建物と、神門に直角を成す拝殿との境目。
拝殿
拝殿向かって左側
左側の拝殿
左側の本殿・春日神社
中央拝殿
中央本殿
向かって右側の拝殿
左側の本殿
拝殿の右端
神木
神門へ
下宮へ
分岐点の若宮神社に。
下宮参道
下宮拝殿
拝殿中央
奥の本殿を見る
向かって左側の拝殿
左側の本殿
向かって右側の拝殿
右側の本殿
右側本殿
下宮の神門
また麻生神楽の舞台に戻った。
振り返ると、左が本宮への鳥居、右が下宮への鳥居。
神楽の舞に少年少女が混ざっていた。足が止まった。
呉橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
呉橋(くれはし)は、大分県宇佐市南宇佐の宇佐神宮西参道にある屋根付きの木造橋。
宇佐神宮の神域を画す寄藻川(よりもがわ)に架かる屋根付きで朱塗りの優美な橋である。この橋が位置する西参道は、昭和初期までは表参道であり、朝廷より派遣された宇佐使と呼ばれる勅使が通ったため勅使街道とも呼ばれていた。
現在の橋は1622年(元和8年)に細川忠利によって修築されたもので、1876年(明治9年)と1951年(昭和26年)に大改修されている。上部は木造で、3基ある橋脚は石造。屋根は向唐破風造で桧皮葺(棟は銅瓦葺)である。現在は渡ることはできず、10年に一度の勅使祭の時にのみ使用される。平時は、1951年(昭和26年)の改修の際に隣に架けられた鉄筋コンクリート橋を利用する。
創建年代は不詳であるが、鎌倉時代より前に存在していたといわれる。中国の呉の人が架けたと伝えられ、これが橋の名の由来となっている。1301年(正安3年)には勅使として宇佐神宮を訪れた和気篤成が「影見れば 月も南に 寄藻川 くるるに橋を 渡る宮人」という歌を詠んでいることから、この頃にはすでに呉橋があったことを確認できる。
0 件のコメント:
コメントを投稿