2010年10月1日金曜日

萩城址(三)

「天守閣跡」の真下から北を見る

「天守閣跡」へ

「天守閣跡」の上に残る礎石

萩城天守閣の遺影。関ヶ原の役の直後に築造されてから270年間、毛利氏13代の居城の象徴として偉容を誇っていたが、明治7年(1874)に解体された。明治の初め、萩の住人「小野為八」が撮影したとされている

「天守閣跡」の上から見た「指月山」

「天守閣跡」の上から見た「本丸門跡」

「本丸門跡」と「天守閣跡」の間の石垣の内側。兵隊が石垣を上下出来る構造になっている

「本丸門跡」と「指月山」

「着見矢倉跡」と「指月山」

「東門跡」


「紙矢倉跡」

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