2011年10月11日火曜日

10/11(火)、昨日は「三仏寺・国宝投入堂」見物、その後「大山寺」。今日は「荒神谷遺跡」、「鰐淵寺(がくえんじ)」、「島根県立出雲古代博物館」見学。

昨日は鳥取市に出て「鳥取砂丘」見学の後に通信が途絶した。今、出雲から石見に入った辺りのコンビニ駐車場。久し振りに繋がったので慌てて報告文を書いている。砂丘でひとしきり撮影してから一目散に「三仏寺」を目指した。三仏寺は吾輩の場合、本堂までで参観は終わり。宝物館に入り投入堂の本尊の蔵王権現立像達を拝観したが、何の変哲もない堂宇しか目にしていない。国宝・重文級の堂宇を見るためには本堂の裏から登山に挑戦しないといけない。吾輩は初めから外れ。独りの登山は禁止されている。それに登山は本式で吾輩の心臓の分を越えている。投入堂を遙拝できる地点が国道沿いにあり、そこから目を皿にして観察したが、湿気の多い気象で靄っていて好く見えなかった。残念。わざわざ遠征してきても、吾輩には無駄なこと。但し目に付く投入堂のポスターは手当たり次第カメラに収めたし、絵葉書も買った。収穫と言えば言える(言えないか)。そして昨日・月曜日の最終目的地「大山寺」に向かった。門限までの時間との勝負になった。到着は四時過ぎ。きわどい。石畳の坂道をダラダラ登るのには参った。坂の途中に「霊宝閣」があったので先ず入館。閉館は四時半。大山寺をわざわざ訪れたのはここに重文の仏像が幾つもあったから。どんな仏像を拝観しにここまで来たのか分らなくなっていたが、霊宝閣で見た重文級仏像は、小さな金銅仏が四体。白鳳期のものが三体と宋のものが一体。中でも宋の金銅仏は綺麗で気品があった。この金銅仏達がお目当てだったかな。大山寺の伽藍も何の変哲もない。明治維新の神仏分離令により大山寺が神仏習合していた「大神山(おおがみやま)神社」から無理矢理引き裂かれて本殿を神社に譲ったという経緯があったが、その神社の鳥居が仁王門の近くにあったので神社本殿を目指した。ところが低血糖症状が出始めたので断念して引き返した。ダラダラ坂の石畳を下る途中で完全にへたった。土産物店にまで何とか辿り着いたのでお菓子を買って口に入れた。ら、途端に低血糖症状が収まった。糖分の消化吸収など全然してないのに理屈に合わないが、甘味を感じた途端に症状が消えたのは事実。脳が症状解除の指令を出したに違いない。夕闇迫る中、山を下りて道の駅「大山めぐみの里」に入って泊まった。明日はさらに西を目指す。ここで一区切り。とにかく送信しておかないと電波事情がどうなるか知れたものではない。

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