2013年11月20日水曜日

〇11/20(水)日本仏教は釈迦の教えと全然違う(★)。南伝仏教。

全データを喪失したら、ブログに載せる写真が無くなって困っている。未だ載せてない旅先の写真が相当残っていたのに(/_;)。仕方ないので「日本仏教は釈迦の教えと全然違う」を再開することに。
時々TVに、東南アジアの仏教国ぶりが放送される。仏教国と言えるのは、スリランカ・ミャンマー・タイ・ラオス・カンボジア。これら東南アジア諸国の仏教は・南伝仏教。スリランカからミャンマーを経由して広がった。拡がったのは比較的新しくて12世紀の頃らしいから、平安末期か。南伝仏教に対して北伝仏教は西北インド・中央アジア(西域)・中国・朝鮮を経由して日本に到来した仏教。意外にもベトナムに入った仏教は北伝仏教だそう。漢字圏だからという。もう一つ、チベットからモンゴルに入った仏教がある。これは密教で、8世紀頃だという。
北伝仏教は、自称「大乗仏教」。大乗とは・大きな乗り物の謂いで、衆生を救済すべく菩薩行に励み(他利)・いずれ如来となるのを理想とする。如来・菩薩、さらに密教が登場すると明王・天までが大活躍する世界。南伝仏教は地味なもの。釈迦牟尼だけが仏陀で、出家僧は修行して「阿羅漢」(略称・羅漢)になることを目標にする。阿羅漢は、悟りを開いた聖人。在家の者たちは阿羅漢に布施をして功徳を積み、生天(しょうてん)を願う。名前を覚えきれないほどの如来・菩薩らが大活躍することは全くない。我々が思い描く仏教世界と全く違うのだ。大乗仏教側から見れば自分一人が悟って救われることを目指す自利行で・乗り物が小さいと指弾して「小乗仏教」のレッテルを貼って下に見ていた。しかし現在は「小乗仏教」という蔑称を使わないように自粛している。
釈迦入滅後100年ほどして・教団が二つに分裂した(根本分裂)。戒律の解釈適用をめぐって収拾がつかなくなったらしい。その分裂にあたって、保守派だった「上座(じょうざ)部」が南伝仏教に繋がり、改革派だった「大衆(だいしゅ)部」が北伝仏教に繋がった。
南伝仏教の依る経典は「パーリ聖典」。南インドのパーリ語で書かれている。大経典。北伝・大乗仏教側の大般若経典に匹敵する規模。パーリ聖典の中には、北伝仏教経典に現れて活躍する如来・菩薩などは全く登場しない。南伝仏教は、釈迦自らの教え・釈迦自らの定めた戒律に近いものを今も護持しているという。原始仏教に近いそう。大乗仏教側では出家僧の肉食妻帯は(釈迦の定めた戒律に背いているが)いつの間にか破戒視されなくなっているが、そんな破戒は南伝仏教では今も(教義上)許されない。南伝仏教から見れば、北伝仏教は・仏教の内に入らないだろう。戒律の定めは・パーリ聖典では最初に書かれているが、大乗経典で戒律の定めが最初に来るものは・果たしてあるだろうか。
釈迦牟尼の扱いが全然違う。南伝仏教では釈迦のみが仏陀で最高位。出家僧が目指すのは阿羅漢。釈迦と肩を並べるものがあり得るという発想はない。北伝(大乗)仏教では釈迦の影が薄い。宗派によっては釈迦は消えていなくなっている。
チベット・モンゴル仏教は、仏教が本格的に密教化してから伝播したので、南伝・北伝仏教と、これはこれで全然違う。三系統の仏教は、同じく仏教ですとは言えないほど違っている。

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