2013年11月23日土曜日

〇11/23(土) 日本仏教は釈迦の教えと全然違う(★)

南伝仏教は・スリランカから東南アジア一帯に展開している仏教だが、釈迦の教え・戒律にほぼ今も従っていると言われる。そこでは・釈迦が唯一最高の仏陀であり、出家僧は阿羅漢(悟りを得た聖人、略して羅漢)を目指し、在家の者は阿羅漢に布施して功徳を積み・生天(しょうてん)を目指す。これは・釈迦入滅直後の釈迦教団の在り方そのものだろう。釈迦教団が分裂したのは・釈迦入滅後100年ほどした頃だという。些細な戒律の変革をめぐって対立した。それは、托鉢の際・金銭を受けてよいか・受けた金銭で食べ物を贖ってよいかという問題だったと言う。釈迦の定めた戒律では、托鉢で受けてよいのは食べ物だけだった。保守派・上座部は釈迦の戒律を遵守すべきだとし、改革派・大衆(だいしゅ)部は金銭を受けてもよいし・金銭で食べ物を贖ってもよいと主張した。この戒律の解釈運用をめぐる争いが根本分裂といわれる分裂を招いたそう。この根本分裂の時の保守派・上座部が南伝仏教となり、改革派・大衆部が北伝仏教となった。北伝仏教は、釈迦の教えの中に・衆生救済の大慈悲があったと見て(釈迦はそんなことは一言も言っていないんだが)・衆生救済のため粉骨砕身する菩薩を種々生み出し、菩薩が究極的に到達する仏陀(普通名詞)・如来も種々生み出した。さながら誇大妄想的。北伝仏教は大乗(衆生救済のための大きな乗り物)仏教と自称し、南伝仏教を小乗(小さな乗り物)仏教と蔑んだ。大乗仏教の一派に浄土教があるが、釈迦は浄土・死後の世界の事など一言も語っていない。密教は・ヒンドゥー教に大乗仏教が吸収されそうになった時代に・ヒンドゥー教の神々・思想・習俗を妥協的に摂取して成立したが、ヒンドゥー教的に呪文・秘儀が要の宗教になった。釈迦は呪文・秘儀など全く認めていなかった。北伝仏教・大乗仏教が釈迦仏教・原始仏教から最も乖離した点は、釈迦の示した戒律を軽視ないし無視したことだろう。それは、仏教から釈迦の影を薄くし、遂には釈迦の姿を消し去るのに等しい。実際・大乗仏教では、釈迦は乗り越えられ・ないしは捨て去られている。北伝・大乗仏教を受け容れた中国・朝鮮・日本では、大乗経典はすべて釈迦自身の説いた教えそのものが書かれていると信じて疑わなかったが、そうではなかった。後の世の思想家の著作物だった。釈迦の説いた教えに近いものは、南伝仏教が拠り所にするパーリ語で書かれた仏典の中に残されている。パーリ語聖典では・戒律の定めが始めに来る(宗教聖典らしい)。だが、大乗経典で・戒律を始めに説いてかかるものはないのではないか。大乗経典はほとんど思想書。
北伝・大乗仏教は・この様な有様なのだが、これが日本に入ると独特の展開を遂げる。この展開の中に、日本人の特性が如実に表れているとボクは感じているんだが、この点は・後日論ずる日がくるに違いないので・その機会に譲る。ここでどうしても指摘しておかねばならない日本仏教の特異性は、出家僧の「肉食妻帯(にくじきさいたい)」が公然平然と行われていること。浄土真宗に至っては教義として「肉食妻帯」を容認している。釈迦の定めた・出家僧教団の戒律の第一は「不殺生戒」、第二は「不犯戒」。破戒すれば・破門。現世利益追求傾向の強い中国・朝鮮仏教でもさすがに「肉食妻帯」を公然とは認めていまい。南伝仏教の側から見れば、日本仏教の有様は・到底仏教の名に値しないだろう。ボクは、日本仏教がどうしてこういう有様になったのか、それでも仏教と言えるのか、という問題を考えてみたいのだ。

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