2011年8月15日月曜日

8/14(日)津軽半島一周。竜飛岬到達。

昨夕から音信不通。さっきまで行く先々でNet接続を試してみるがダメ。ここは秋田県も山形県境に近い日本海側の「道の駅・きさがた」。デッカイ道の駅なので期待したら繋がった。それで昨日一日の報告から。
朝05:30目覚め。むつ市・恐山に引き返すことは断念。戻るのは《流浪の旅》の趣旨に合わないし、盆なので陸奥国の霊場はもの凄い混雑・渋滞の様な気がした。それで一路津軽半島を目指した。途中青森で港に寄った。青森と言えば何と言っても青函フェリー埠頭でしょう。そこでフェリーの写真を撮っていよいよ津軽半島へ、北上開始。この半島もなかなか大きい。竜飛崎までは先ず海岸線を走る。半島先端の中央がやや凹んでいて東に高野﨑、西に竜飛崎が出ている。高野崎は小規模だが絵になっていた。竜飛崎は、これはもう凄まじい隆起出っ張り。風が強いというのはまさにその通りで、阿久悠の「津軽海峡冬景色」の歌詞通り。それにしても竜飛岬に立ってみて、阿久悠は天分ある詩人だとしみじみ思った。詩情が現地とどんぴしゃり。竜飛崎の巨大で峻険な山塊を高々と越えると、津軽半島の西側・日本海側はまた海岸線に戻ることが許される。下北半島の西側・マサカリの刃の部分はずっと峻険な山上の絶壁を縫って走り続ける怖~い道だったが。「十三湖(じゅうさんこ)」には微かに期待してたんだが、護岸整備された単なる巨大な水溜り、それもただの一箇に統合。絵になる所など一目でないッ。海を離れて津軽平野の中の金木町(かなぎまち)の太宰治記念「斜陽館」を探訪した。写真で見た通りの豪勢な実家。当時としては破格の豪邸。国指定重要文化財。それにしても「津島修治(太宰治)」の人格形成過程は不思議。五所川原(行っておきたい街だった)を通過したとき、岩木山の輪郭が浮かび上がっていた。山容は靄っていたけれども。鰺ヶ沢町を通ってまた日本海側に出た。「千畳敷」の景勝地でひとしきり遊んで、「道の駅・ふかうら」着。夕暮れたので今夜はここに泊まる。秋田県境に大分近づいた。残念ながらNetに繋がらなかった。明日は「白神山地」に迫ってみようと思う。「十二湖(じゅうにこ)」があるらしい。十三湖はダメだったが、そこは絵になりそうな気がする。

一晩中、強風が吹き荒れていた。セレナが揺れていた。雨が降らなかったのがせめてもの幸い。

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