2010年12月28日火曜日

12/28(火)、島根県立出雲古代博物館、出雲大社・稲佐の浜、長浜神社、石見銀山、物部神社

午前9時「道の駅・湯の川」発、9時半「島根県立出雲古代博物館」着。館を出たのが12時過ぎ、館の中が熱かったせいか途中でフラフラf(+_+)。面白かった!圧巻は何と言っても荒神谷・加茂岩倉両遺跡出土の銅剣・銅鐸・銅矛の本物の全点展示\(^o^)/荒神谷遺跡出土の銅剣358本が整然と陳列されている姿を想像してみ給え、荘厳なもんだよ。加茂岩倉遺跡出土の銅鐸34個が一団に展示されている姿も荘厳。中にバワ―ショベルで酷く傷つけられているのが23点あって心痛むが、考えてみればバワ―ショベルによる土木工事がなければ発掘されなかったんだから必要な犠牲だったかも。銅鐸を鳴らしてみて下さいコーナーがあったので鳴らしてみた(*^^)v想像していた通りの好い金属質の響きだった。出雲大社の境内から巨木三本を合わせて一本の柱に仕立てた遺跡が三本分発掘されたが、その巨柱を前提に5人の建築家に本殿を設計させた模型が五体展示されていた。楽しい見ものだった。博物館の後は《出雲大社》へ。雨(T_T)。姫路城と同様、本殿とその周囲の社殿の大修理中で巨大な立方体が中心部を席巻しているばかり。まっ、出雲大社は5度目ほどの訪問だから別にどうでもいいけど。「稲佐の浜」の写真を撮るのが大事な目的の一つだったが、寒冷前線が通過中と見えて雷光雷鳴が頻りで凄まじい景色になるわ、暴風雨の襲来で濡れ鼠になって震え上がらせられるわで写真どころでなかった。稲佐の浜は、大国主命が国譲りをして独り悄然とこの浜から海の底に消えて行ったという、古代神話のクライマックスの舞台。大国主命もこんな凄まじい破天荒な日にはさすがに海に入るのを嫌がったんじゃないか。きっと晴れた日を選んで青い波静かな海に入って行ったと思う。稲佐の浜から南に向かって「長浜」が長い弧を描く。ここは「国引き神話」の舞台。長浜の南端に「長浜神社」がある。そこを探訪して漸く長かった吾輩の出雲神話の世界の旅行が完結となる。島根半島(旭日の三保神社、日没の日御崎(ひのみさき)神社、神等去出(からさで=good bye,gods)の佐多神社))は昨秋探訪済み。風雨の中手こずったが地理勘を頼りに何とか長浜神社に到達。午後2時、いよいよ大田市に向かった。目指すは《石見銀山》。3時過ぎに銀山近くに辿り着いたが、ここの観光は普通の段取りじゃ出来ないことが判明。冬季は「間歩(まぶ)」=坑道の入口は午後4時に閉ざされる、しかもPから「間歩」までは徒歩でしか行けないがその行程は3km近く。明朝再訪することにして大田市の海岸線にある道の駅に戻ることに。戻りがけ、行き掛けの駄賃とばかり石見一ノ宮「物部神社」に立ち寄った。もう夕暮れの中で境内を歩き回り写真も撮った。さすが一ノ宮といった風情。物部神社を立った時はもう5時過ぎ、宵闇に覆われていた。飲食料の調達にコンビニに寄った。不図真っ先に新聞を手に取り日付を確認、して、ビックラこいた(o)(>_<)28日」の文字。さすれば明日は妻と再会を契り合った《29日》ではないか。石見銀山どころではない。吾輩は買物もせずおっとり刀で浜田市に向けてセレナを駆った。途中江津から山陰道に乗り浜田JCTから浜田自動車道に入った。浜田自動車道は無料化試験実施中で気を好くしたが、途中からみぞれ模様。千代田JCTから中国自動車道に入り広島JCT手前の安佐SAに入ったのが午後7時半。ここで野菜の付いた定食を摂った。ここなら明日の妻との再会の約束はバッチシ、ということで今夜はここに泊まることにしたが、厭だねぇ、車外はしんしんと雪が降っていて既に地面は白くなっている。積るだろうなぁ、ここまで来ておいてよかったよ。それではまた明日(^O^)/

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