2010年12月31日金曜日

12/31(金)長崎平和公園・浦上大聖堂・爆心地公園、大浦天主堂・グラバー邸、出島オランダ商館、メガネ橋

長崎は雪。12月としては観測史上最大の積雪だそう。市内は大渋滞。探訪目標は一応走り回ったんだが、景色は雪に埋もれて本来の姿ではないでろう。いや、今日の景色が吾輩には生涯一度の一期一会の姿。忘れまい。もう既に大晦日だからこその酒を嗜んだ。記述する態勢からずれたが、今年の事は今年の間に語っておこう。以下、今日の探訪成果。
○「長崎平和公園」 平和祈念像の男性像だが、何度見てもポーズが不自然だなぁ、アンバランスが生み出す躍動は感ずるが。それと、顔と体型が明らかに日本人的ではない。制作当時はそれが時代風潮だったのかも知れないが時代は流転する、違和感がある、普遍的な姿ではない。
○「浦上大聖堂」 明治の世になり神父と信者が懸命に建てた大聖堂は原爆の獄火で消滅した。浦上司教区内12,000名の信者のうち8,500人が瞬時に昇天した。現在の信者数は8,500名。大聖堂の僅かな残滓が今「爆心地公園(松山町)」に移転されて立っている。
○「爆心地公園」 ここに到達したかった。紆余曲折を経て遂に到達。この上空500mで人の頭上を狙って核分裂の業火が放たれた。吾輩は思っている、米大統領は相手が日本人だから原爆を投下した、白人都市の頭上には決して投下しなかったろう。
○「大浦天主堂」 国宝だそう。
○「グラバー邸」 雪に閉じ込められて色彩を失い景色が死んでいた。色彩を回復すれば多分絵になる景色。グラバー邸の保存状態は頗る悪い。併設の伝統工芸館は好い。長崎くんちの実物にお目にかかれる。
○「出島オランダ商館跡」 出島は遠い昔に埋め立てられて今はその面影は全くない、市街地に囲まれて単なるその一部化。それが、扇形の出島の南縁(海側)の石垣の一部が掘り起こされていた。陸側の石垣は運河状の川に面して今も残されている(と見られる)。それから見ると、出島は小さかった。
○「メガネ橋」 諦めかけていたがエイヤッとハンドルを切ったらぶち当たった。沢山架かっている石橋の一つ。川面の中央まで行きる飛び石があったので活用。橋脚の二重の半円が川面に反映して見事なメガネを形成、絵になった。
この後長崎を離れた。離れるつもりだったが、大渋滞でなかなか脱出できなかった。それでも今夜の宿泊地・諫早ルートインホテルに着いたときは未だ陽があったので諫早湾干拓水門に向かった。道中「雲仙岳」が西日に照らされている絶景に出逢って撮影した。水門の方は干拓堤防道路にちょっと足を踏み入れただけで帰ってきた、水門にまで至らずに。
悲しいことがあった。セレナをバックさせたとき、後部の左角てっぺんを凹ませた、塗りも剝げ落ちた。それを目で見たとき、ズキンと心が痛んだ。運転中もその傷を思うとズキズキ心が痛んだ。セレナは最早吾輩の体の一部になっている、吾輩の足の拡張。足を傷めて心痛まぬ者はない(/_;)。これで今年の流浪の旅の報告は終わる。それではまた来年(^O^)/元旦は「吉野ヶ里遺跡」の探訪から始まると思われる。

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