2011年1月26日水曜日

12/31(金)、長崎平和公園

北から雪の長崎市街地に入った。長崎市の気象観測史上最大の積雪量を記録することになる日。
浦上地区にある「長崎平和公園」


この平和祈念像、どう見ても日本人的でない。姿勢も不自然。日本人が日本人であることを自身嫌悪する風潮が充満していた時代が生み出したモニュメント。


公園の橋から「浦上大聖堂」が望める。雪に煙っている。
1945/8/9、プルトニューム型原爆(ファットマン)がこの浦上地区上空500mで炸裂した。因みに広島に落とされたのはウラン型原爆(リトルボーイ)。長崎型原爆は広島型の1.5倍の威力があった。第一投下目標は小倉市。それが小倉上空で三度の目標視認に失敗して急遽第二目標の長崎市に向かった。長崎上空は雲がかかり目標の視認が困難で投下地点は長崎市内中心部から北に3km逸れていた。そこが浦上地区松山町。長崎市は広島市や小倉・北九州のような広大な平坦地ではなく各地区が山に囲まれて遮蔽され分立していた、それで被害は広島よりも限定され、中心部は壊滅を免れた。それでも死者は149,000人と言われている(当時の長崎市の人口は24万人)。

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