2011年3月14日月曜日

3/13(日)、福井市芦原街道「新田義貞戦死地」

公立能登総合病院を退院した土曜日はさすがに自宅に待機した、絶好の旅日和だったのに。日曜日、東北関東大震災の報道を見ていたら午前11時近くになってしまった。好天だったので勿体なくてやっぱり動き出した。目的地は「新田義貞戦死地」、福井市内。そこに至る道中、中能登町高畠を過ぎて羽咋市域に入って程ない所にある「永光(ようこう)寺」(曹洞宗の名刹)に寄った。午後かなり回った頃、福井市新田塚という町内に辿り着いた。が、それからが大変、なかなか目的地に辿り着けない。花壇をいじっていたおばさんに訊いたら「新田義貞の戦没地は知らないが、新田神社なら知っている」と言うのでそこを教えて貰った。吾輩の勘では「新田神社」=「新田義貞戦没地」。
「史蹟・燈明寺畷(とうみょうじなわて)新田義貞戦没伝説地」碑は芦原街道沿いに建っていた。
お堂がある。周囲は小公園になっている。

お堂はこの碑を守るために建てられたもの。碑銘は「新田義貞戦死此所(にったよしさだ、ここにてせんしす)」
地名化した「新田塚」



この地から農夫が掘り出した冑。新田義貞が青年だった頃の年号が刻印されていた。
藤島神社に新田義貞が祭神として祀られていることを知って、いざ藤島神社へ。足羽山の中腹高くに在る。

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