↓下醍醐寺仁王門・重要文化財
↓国宝・下醍醐寺五重塔
↓国宝・下醍醐寺金堂
下醍醐寺・伝法院大講堂。
文殊堂・下醍醐
下醍醐寺境内から上醍醐寺に入る境目。
↓「西国11番霊場・准胝観音堂 約2.2k、徒歩51分」とある。が、吾輩は狭心症で貧血なので登山は人の二倍以上時間をかけないと登れない。
↓女人堂。上醍醐寺は女人禁制の山だったので、女性はこの女人堂に参詣した。今は女人も平然と登山している。
登山道入口
↓へたばってきたときに着いたのがここ「槍山」。太閤秀吉がここから「醍醐の花見」をした。勿論目障りな山林は切り払った。
辛い石段登りが続く。この石段の上に不動滝があるが、ほぼ枯れていた。
中途だが、これだけ高度を上げた。
登りが続く。もう半ばは登っただろうと思っていた地点は、実は三分の一程度だった。
とうとう社務所の門が見えた。上醍醐寺の参道は門の左をすり抜けて行く。
↓国宝・清龍宮拝殿
清龍宮拝殿
清龍宮拝殿
↓上醍醐寺総鎮守社・清龍宮
↓醍醐水霊場。この真上の山上に准胝観音堂がある(あった)。
醍醐水霊場
↓醍醐水霊場の真上。ここにあるはずの准胝観音堂は、何と落雷で焼失していた。上醍醐寺の准胝堂はこれまでにも落雷で何度も焼失し再建されてきたらしい。
↓この図の中央が醍醐水霊場。その上に准胝堂があった。
准胝観音とは如何なる観音様か、分る人は少なかろう。吾輩は分っていない多数派に属する。大体准胝観音像に御目にかかれることは滅多にない。准胝観音像が少ないのだ。観音像は日本では六観音と称して六態の応現像が刻まれてきた(法華経では観音菩薩は人間救済のため33態に変化してこの世に応現すると説かれているが)。聖観音・十一面観音・千手観音・准胝観音・馬頭観音・如意輪観音の六つ(不空ケン索観音を含めて七観音という立場もある)。この六観音像が立ち並ぶ姿を間近に見られる寺が唯一つある、大報恩寺・千本釈迦堂。その姿を「日本の仏像・大報恩寺」講談社から引用して示す。いずれも鎌倉時代の定慶仏師の作だという。定慶の作品では鞍馬寺・宝蔵館の聖観音像の美しさと気品が忘れられない。聖観音は地獄道に落ちた人を救済するために地獄道に応現する観世音菩薩の姿だという(地蔵菩薩も地獄まで下りてきて救済してくれる菩薩だそう)。観音菩薩の基本形。十一面観音は頭頂に十面の顔を付けた分、パワーアップしている。修羅道から救済して呉れるそう。千手観音は十一面観音がさらに千手千眼を備えた分、恐ろしいほどバワ―アップしている。餓鬼道から救済して呉れるそう。准胝観音は一面三眼十八 臂で人間界から救済して呉れるそう。馬頭観音は頭頂に馬頭を載せてシン怒面をしている。畜生道から救済して呉れるそう。如意輪観音は右膝を立て右手を頬に当てた座像姿で現れる。どこか退廃的な知的ムードを漂わせる。天道界から救済して呉れるそう。↓ これが准胝観音像。「人道」から救済する時に応現する姿だという。像容は一面三眼十八臂とするものが多い。手の本数が多いことから千手観音と混同される場合もある。准胝とはものの本で優しいという意味だと書いてあったのを読んだことがある。白洲正子だったかなぁ。吾輩の記憶力は近時とみに劣化を来しているので当てにならないが。
↓国宝・下醍醐寺五重塔
↓国宝・下醍醐寺金堂
下醍醐寺・伝法院大講堂。
文殊堂・下醍醐
下醍醐寺境内から上醍醐寺に入る境目。
↓「西国11番霊場・准胝観音堂 約2.2k、徒歩51分」とある。が、吾輩は狭心症で貧血なので登山は人の二倍以上時間をかけないと登れない。
↓女人堂。上醍醐寺は女人禁制の山だったので、女性はこの女人堂に参詣した。今は女人も平然と登山している。
登山道入口
↓へたばってきたときに着いたのがここ「槍山」。太閤秀吉がここから「醍醐の花見」をした。勿論目障りな山林は切り払った。
辛い石段登りが続く。この石段の上に不動滝があるが、ほぼ枯れていた。
中途だが、これだけ高度を上げた。
登りが続く。もう半ばは登っただろうと思っていた地点は、実は三分の一程度だった。
とうとう社務所の門が見えた。上醍醐寺の参道は門の左をすり抜けて行く。
↓国宝・清龍宮拝殿
清龍宮拝殿
清龍宮拝殿
↓上醍醐寺総鎮守社・清龍宮
↓醍醐水霊場。この真上の山上に准胝観音堂がある(あった)。
醍醐水霊場
↓醍醐水霊場の真上。ここにあるはずの准胝観音堂は、何と落雷で焼失していた。上醍醐寺の准胝堂はこれまでにも落雷で何度も焼失し再建されてきたらしい。
↓この図の中央が醍醐水霊場。その上に准胝堂があった。
准胝観音とは如何なる観音様か、分る人は少なかろう。吾輩は分っていない多数派に属する。大体准胝観音像に御目にかかれることは滅多にない。准胝観音像が少ないのだ。観音像は日本では六観音と称して六態の応現像が刻まれてきた(法華経では観音菩薩は人間救済のため33態に変化してこの世に応現すると説かれているが)。聖観音・十一面観音・千手観音・准胝観音・馬頭観音・如意輪観音の六つ(不空ケン索観音を含めて七観音という立場もある)。この六観音像が立ち並ぶ姿を間近に見られる寺が唯一つある、大報恩寺・千本釈迦堂。その姿を「日本の仏像・大報恩寺」講談社から引用して示す。いずれも鎌倉時代の定慶仏師の作だという。定慶の作品では鞍馬寺・宝蔵館の聖観音像の美しさと気品が忘れられない。聖観音は地獄道に落ちた人を救済するために地獄道に応現する観世音菩薩の姿だという(地蔵菩薩も地獄まで下りてきて救済してくれる菩薩だそう)。観音菩薩の基本形。十一面観音は頭頂に十面の顔を付けた分、パワーアップしている。修羅道から救済して呉れるそう。千手観音は十一面観音がさらに千手千眼を備えた分、恐ろしいほどバワ―アップしている。餓鬼道から救済して呉れるそう。准胝観音は一面三眼十八 臂で人間界から救済して呉れるそう。馬頭観音は頭頂に馬頭を載せてシン怒面をしている。畜生道から救済して呉れるそう。如意輪観音は右膝を立て右手を頬に当てた座像姿で現れる。どこか退廃的な知的ムードを漂わせる。天道界から救済して呉れるそう。↓ これが准胝観音像。「人道」から救済する時に応現する姿だという。像容は一面三眼十八臂とするものが多い。手の本数が多いことから千手観音と混同される場合もある。准胝とはものの本で優しいという意味だと書いてあったのを読んだことがある。白洲正子だったかなぁ。吾輩の記憶力は近時とみに劣化を来しているので当てにならないが。
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