2012年2月22日水曜日

〇2012.2.22(水) 65歳の吾輩の脳のボケ具合

この頃、脳力の衰えが目立つ。と言ってもあらゆる脳力が衰えているのではない。際立つのは記憶力。それも記憶力全般が衰えているのではない。脳に詰まっている或いは生ずるところの無限のイメージに結び付けるべきラべル名札名前の記憶力が著しい衰えを見せている。イメージに即応する固有名詞が脳の奥底の闇に沈んで浮かんで来ない、或いは脳から消え失せようとしている、という感じ。ということで言語の能力全般が衰えているのではない。名詞、それも固有名詞の記憶力だけがとみに衰えている。これは、海馬の衰えを意味するのだろう。海馬がイメージと名詞を結び付けている、多分。脳内に未だ鮮明に蓄積されているイメージ、或いは生じたイメージを言語化するのに適切な名詞が浮かんで来ないこのもどかしさ。これではイメージの分類分析そして総合に支障を来す。そのうち明晰な思考に手が届きかねることになるだろう。それは創造性と無縁の世界に堕すること。吾輩の脳がそのような世界(何のことはない、我が脳内にある世界)に妥協できるものだろうか。貧すれば鈍するで心配するまでもないか。目下読書意欲・読書水準読書量に衰えはない。読解力にも別段衰えはない。読書成果の貯蔵・蓄積の方は覚束ないが、知識教養の層が薄くなり或いは脆くなっている兆しはない。イメージ力と言語力は確かに能力の性質を異にする。記憶力は多く言語力に依存する。言葉による分類が成立して初めて記憶力が機能する。吾輩の脳内ではイメージ力は衰えを見せていない。言語力のうち名詞を貯蔵蓄積しそれを適宜出し入れする能力のみがはっきり衰えを見せている。知識教養という記憶力のインフラには未だ劣化の兆しはない。ところでイメージを言語を介さずに表現する方法に絵画がある。そう、絵画が最後に残るだろう。やはり吾輩の余生は画家人生であるべきだろう。イメージ力が衰えない限り、記憶力が名詞を失うことによって頼りなくなっても嘆くまい。イメージ力が衰えを見せ始めたら、そのときこそ我が人生の終焉を自覚する時。さて、旅に憧れ出る気力がある間は大丈夫。読者諸君、未知を求め、感動を求めて旅に出ようではないか。そして死ぬ時は旅に死のう。

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