2012年8月18日土曜日

〇8/18(土)、石光寺、三輪山「大神(みわ)神社」、山の辺の道、「桧原(ひばら)神社」

今朝は五条市から北上して奈良盆地に入り、御所市を通り、二上山の裾の当麻寺の近くの「石光寺」を先ず探訪した。成果なし。さらに北上し平群辺りを目指したが、いつしか大阪府柏原市に入るコースに乗っていた。大阪は苦手なので引き返し、一気に二上山から三輪山へ、奈良盆地を西端・香芝市から東端・桜井市に突っ切ることに。大神神社の向かって右側・南側を「山辺の道」を中心に徹底的に探訪して見ることに。\左側・北側はそのうちに必ず。こちら側の山辺の道も、天理市「石上神宮」まで続いている。今日はかんかん照りの中、南側の摂社・末社は残らず訪ねた。掘り出し物は、かつての神宮寺だった「三輪山・平等寺」を知ったこと。絵になるように境内を作ってある。建物も好い。センスのある住職が居たに違いない。山辺の道は「海柘榴市(つばいち)」まで辿った。暑さにやられた。それでも折角だからと山の辺の道から外れた「磯城瑞籬宮跡(しきのみずがきのみやあと)」も訪ねたら目と鼻の先にあって助かった。得した。崇神天皇の宮跡という。近辺には崇神・景行両天皇のものといわれる巨大な前方後円墳がある。三輪山を後にして北上すると程なく「日本第一・笠山荒神」と刻した大石碑が案内に立っている。いつも気になっていたので行ってみることに。途中「桧原神社」に分れる道があったので先にそちらへ。一車線の山の辺の道を辿って行く。着くと如何にもシンプルな神社、日本の神社の原点を示すかのよう。意外にも大神(みわ)神社の摂社。三輪山の横手(南西側か)山麓に立地。大収穫があった。何と「三つ鳥居」が当(まさ)にあった。大神(みわ)神社は三輪山を御神体とするので本殿がない。立派な拝殿の裏には一般の神社にある様な本殿がないのだ。代わりに拝殿の背後に、三輪山の裾に「三つ鳥居」が立っているという。そしてこの「三つ鳥居」を見た者は神職しかおらず、神職は三つ鳥居のことを口にしてはならない。だから三つ鳥居が立っていることは分っているが、どんな形態をしているか神職以外に誰も知らない。その三つ鳥居が大神神社の摂社・桧原神社にあったのだ。桧原神社にも本殿はない。三つ鳥居の背後には別角度から見る三輪山があるばかり。しかもこの神社には、拝殿すらもないのだ。三つ鳥居が、神の領域と人の領域を分っているばかり。シンプルこの上ない。大神神社・拝殿裏の誰も見たことのない三つ鳥居は、この神社の三つ鳥居と同じだろう、そう推測して間違いはなかろう。桧原神社の前に一軒茶屋があり、そこのお姉さんの作ってくれた《そうめん》の旨かったこと。それから「笠山荒神」に回ったが、山奥深くに入り込んで見たモノは‥‥「日本第一」とはどんな意味かっ(`´)、国道に面して建っているあの巨大な案内石碑は何事かっ(`´)。「日本一」でないことは確か、絶対に。最後は「帯解寺(おびとけでら)」の探訪を考えていたのだが、時間をロスして諦めた。帰路に就いた。滋賀県に入ると物凄い豪雨に祟られた。ワイパァも利かない。ここは福井県・南条SA。ここまで辿り着いて、一服しながらプログを投稿している。雨は完全に上がっている。夏休み旅行は今日で打ち止めにするつもり。明日・日曜日は家でゆっくりしたい。誰も居なくて寂しいがf(~_~;)。

2 件のコメント:

  1. お疲れ様です。

    楽しく読ませて頂いていますが、小野小町も寄ったという懐かしい「子安山帯解寺」がでてきて、2年前の9月に行ってきました。そのとき1ヶ月後の秘宝特別公開にもと思っていたのですがすっかり忘れてしまいました。
    私は手水の竜などの水口の写真も撮っていますが、帯解寺の波切不動横の竜の水口はなかなか立派なものでした。

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  2. Datumさんは、手水の竜などの水口の写真蒐集が趣味なんですか。面白いモノに目を付けましたねぇ。折角凝るともう止められませんよねf^_^;京都の本圀寺の水口、あれは変ですよ。呆れます。何でも金ピカに飾るのが好きな住職がいたんですかね。日蓮宗の性ですかね。未だ行っていないようなら、行かれたら。蒐集写真としてはピッカピカの値打ちがあるかもね(^_^)v 本圀寺と謂えば、日本史的事件の舞台に度々なった由緒ある寺で、昔は都の中心に立地していたんですが、今は東山を東に越えた辺鄙な位置に越しています。至る道が超狭くて複雑で本当に車で着けるのかと心配しなければなりません。

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