2012年8月13日月曜日

〇8/13(月)松坂城址・本居宣長記念館・本居宣長旧宅、伊勢志摩パールライン、安乗岬燈台、志摩半島・英虞湾

今朝は亀山から伊勢自動車道に乗り、松坂で下りた。念願の「本居宣長記念館」を訪ねようという魂胆。前に一度、松坂市内を走り回ったが分らなかった。今回は松坂城址の周囲に目を付けて探索することに。すると城址の石垣の傍にあった。城址の傍に市営駐車場があり、どうやら無料。だが満車の表示が出ている。けれども入り込んだら、丁度出る車があって駐車に成功。これは最初から運が好いわいと喜び勇んで松坂城址に入った。「本居宣長記念館」「宣長の旧宅・鈴屋(すずのや)、土蔵、櫻松閣」「本居の宮」が一式まとまって松坂城址の傍にある。ボクは気を良くして悠然と城址内を見学。そして左すれば宣長記念館・旧宅、右すれば本丸の表示がある所で地元の散策者に確認を入れたら、確かに左に行けば記念館に着く、しかし今日は記念館も旧宅も月曜日で閉館だそう。ナヌ(`´)そんなことって(T_T)そんなことって(/_;)。ボクは運の悪さにすっかり落胆して本丸に登ってそうして泣く泣く帰ることに。本丸をぶらついて戻ろうとしたとき、不図ボランティアの老人に話し掛けてみた。博識で親切そうだったので。石川県から来て本居宣長記念館を探すこと二度目で城址の傍にあることが分った。が、休館と聞いてがっくりきた、せめて石垣の上から何処に在るのか見定めて帰りたいと申し出ると、それは気の毒な、ついて来なさいと言って石垣の上を伝って案内し、眼下のコンクリート建物を指してこれがそうだと教えてくれた。中に宣長の文書が16,000点収蔵されている、うち3,000点が重文という。記念館の左側に宣長の旧宅がある。三棟並んでいる。それを石垣の上に立って見下ろしながら懇切な解説をしてくれた。真ん中の土蔵は元禄時代の建築で明治42年に移築されたが、この土蔵の中に宣長の16,000点の文書が保存されていた。右側の旧宅は明治42年に新築された。旧宅の一角に屋根が飛び出ている部分があるが、その下の小さな部屋が「鈴屋(すずのや)」、宣長の研究室。左側の建物も明治42年の新築で「桜松閣」。移築・新築費用は莫大だったが、その一部を明治天皇と皇后が下賜され・皇太子(大正天皇)も寄付し、それに触発されて三井の当主が大枚をはずんだら財界が挙って寄付を申し出て事業が成就したそう。老人の名は城山博伸氏。閉館日だからこそ会えて話を聞けた。宣長の墓の在り処を訊いたら、車で4キロ先の山に行き徒歩で40分登った山頂にあるという。遺言どおりの設えだそう。石垣の上で別れてボクは残って記念館と旧宅の写真を撮った。本居の宮にも参拝したが、この神社は貧相。松坂から下道で伊勢市へ。伊勢神宮は何度も参拝しているので今回は素通りして鳥羽市へ。鳥羽水族館に入る考えもなくはなかったが、駐車場に入るのが大変そうだったので素通り。パールラインを走って志摩半島へ。Pがある度にセレナを停めて海岸線風景を撮影。と、思いがけず「喜びも悲しみも幾年月」の映画ロケの舞台となったと解説されている白い燈台が遥か彼方に点となって霞んでいるのに出遭った。pacificvenusさんが「おいら岬の灯台守は♪」と50年も前の歌を(歌手は若山彰だった)コメントで歌って、この歌の灯台は一体何処の灯台なんでしょうねぇ、なぞとつぶやかなければ決して解説に注目することなどなかった白い点に見える燈台。「安乗(あのり)岬燈台」だそう。pacificvenusさんに「おいら岬の灯台守は♪」の歌の舞台の灯台を見せて上げたくなって、パールラインの終点を出ると安乗岬に向けてセレナのハンドルを切った。岬部分は道なき道を走ることになったが、とにかく燈台に着いた。燈台は公開されていた。venusさん、陽気になってとにかく歌など歌ってみるもんですねぇ。瓢箪から駒、イヤァびっくり、偶然なのか必然なのか信じられない展開で、ボクは映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台となった安乗岬燈台に吸い寄せられていった。安乗岬燈台の写真はpacificvenusさんへのプレゼントです。venusさんが歌わなければ、ボクには生涯無縁の燈台でしたから。安乗岬から大王崎に行き、志摩半島の最先端の御座まで行ってぐるっと志摩半島を周遊して戻ってきた。英虞湾は全然見えなかった。半島周遊の最後に執念で見当をつけて大王町・外茂山という所に出て英虞湾の一部を見下ろした。しかしボクの本望は、志摩半島・英虞湾全体を望む展望台に登ること。確か「横山展望台」と言った。長女が幼女だったとき妻と三人で志摩に来てその展望台から英虞湾を展望した。賢島(かしこじま)周辺を走り回ったがどうしても発見できない。夕暮れ近くなったので諦めて南紀方面の道の駅を求めて国道を辿っていたら、横山展望台は左折の標識が目に入った。古い記憶と全く様相が違ったがとにかく標識に従って左折して横山に登った。志摩半島・英虞湾を俯瞰する展望台に違いなかった。横山展望台から山上をさらにパノラマ展望台・英虞湾展望台まで脚を伸ばした。撮影は夕闇の降りて来るのとの勝負だった。その後夕闇の中を国道を辿っていたら、道の駅「伊勢志摩」まで発見できた。今夜はここで泊まることに。夕食の支度もしてないが、車中にあるモノを飲食して明日を迎える。明日はあしたの風が吹く(^.^)/~~~

4 件のコメント:

  1. 松坂城の城山ですが 先日はようこそおいでいただきました また来てくださいね しかし私は老人ではないかも・・・よ

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  2. 今、南紀御浜町の道の駅「パーク七里御浜」に居ます。今日はここに泊まります。それにしても驚きました。松坂以来、電波状態の良くない所をうろついていて、いまゆっくりとブログのコメント欄を見ました。「しろちゃん?」、知らんなぁ、誰かなぁと思って読んでビックリ(@_@;)。城山博伸さんではありませんか。ボクのブログをどうやって検索したんですか、不思議だなぁ。それにしてもその節は本当に懇切にして頂きまして有難うございました。折角発見した本居宣長記念館が休館で、よっぽどボクは宣長翁と縁がないんだ、お会いするのはもう諦めようと落胆していたときだけに、ご親切と適確懇切な御教示が身に染みました。この次には月曜日だけは避けて、三度本居宣長記念館本門に挑戦したいと思っています。旧宅が隣にあることもお陰様で知りました。旧宅も見学したいと思います。城山さん(しろちゃん)は普段は旧宅の方でボランティア活動をしておられるそうで、再会できる可能性が大ですね!(^^)!「老人」という概念を城山さんに安易に当てはめて大変失礼をば致しました。まさか城山さんがボクのブログを目にするなぞとは露とも思わず、老人という言葉を城山さんを表わすのに使うのはちょっと違和感があったのですが、70歳の年齢層の元気で頭の良い人を表現する言葉が直ぐには浮かばず、面倒なので年齢的概念として「老人」と書いてしまいました。相済みません。城山さんが見ていると分った以上、城山さんのイメージ通りの言葉を探求します。しかし結局「城山さん」に落ち着きそうな予感がします。因みにボクは昭和21年9月4日生です。その節は本当にありがとうございましたm(__)m。(^.^)/~~~

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  3. お天気は大丈夫ですかー?なんか面白い展開になってきましたねー w(゚o゚)w そして、おいら岬♪が見えたのですか? (@_@)! 最近、瓢箪から駒!がありすぎて (*・_・*)ゞ
    そっか、あの映画は伊勢湾台風の時の話だっけ?なんかむか~し白黒テレビで見てて、まだ幼く!純粋?な私はえらく感動!したのでした (T-T) 加藤剛がカッコ良かった!ような…
    ワタクシも老人ではないですが o(*^ー ^*)o

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  4. 天気は、土・日・月までは夏らしかったのですが、火になって一日中小雨。今日水曜日は本降りです。本降りになると、探訪の足に支障が出て厭ですねぇ(/_;)(`´)それにしても安乗崎灯台が「おいら岬の灯台守はぁ♪」の舞台だったことの発見は瓢箪から駒でしたf(^_^;)我ながらビックリ(@_@;)でした。pacificvenusさんの身辺は「最近、瓢箪から駒!がありすぎて (*・_・*)ゞ 」状態のようですね。多分、venusさんらしい人生に嵌ってきた(ちょっと言葉が悪いかな、venusさんらしい人生が展開されてきた)ということじゃないかなぁ(*^^)v

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