2019年7月12日金曜日

★奥の細道紀行 第55章 大元明王・善法寺、守山宿

曾良随行日記』『‥それ(乙字ヶ滝)より川(阿武隈川)ヲ左ニナシ、壱里計(ばかり)下リテ 、向小作田村と云(う)馬次(馬・常備宿場)有。ソレより弐里下リ、守山宿と云(う)馬次有。御代官諸星庄兵へ(衛)殿支配也。問屋善兵へ(衛)方(手代湯原半太夫)へ幽碩(ゆうせき・俳人)ヨリ状 (書状)被添(そえられる)故(ゆえ)、殊之外(ことのほか)取持(とりもてり) 。又、本実坊(僧侶)・善法寺へ矢内弥市右衛門(の)状(書状)遣(つかわ)ス。則、善兵へ(衛)、矢内ニテ(善兵衛・矢内と一緒に)、先(まず)大元明王(★註、今は田村神社があるらしい)へ参詣。裏門より本実坊へ寄(より)、善法寺へ案内シテ本実坊同道ニテ行(く)。 村(雪村 )哥仙(の)絵・讃(絵の讃は)宗鑑之由、見物。内、人丸・定家・業平・素性・躬恒(みつね)(五名は有名な歌人)、五ふく(幅)(五幅の掛軸)、智證大し(大師)并(並びに)金岡がカケル(描ける)不動(の画を)拝ス。探幽(狩野探幽)ガ(描いた)大元明王(の画)ヲ拝ム。守山迄ハ乍単(さたん、須賀川の俳友・等窮の若い頃の俳号)ヨリ馬ニテ 被送(おくられる)。昼飯調(ととのえ)テ被添(そえられる)。守山 より善兵へ(衛)(が)馬ニテ郡山(二本松領)迄送ル。カナヤ(金谷)ト云(う)村へかゝり、アブクマ川ヲ舟ニテ越(こえ)、本通(ほんどおり、奥州街道)(の)日出山ヘ出ル(★註、大元明王・善法寺参詣のため、奥州街道からわざわざ外れて寄り道したらしい)。守山ヨリ郡山ヘ弐里余。日ノ入(ひのいり)前、郡山ニ到テ宿ス。宿ムサカリシ。』
★この章の探訪記は、後日現地を見分してから掲載する。
NET検索すると、〇大元明王は今はなく、田村神社があるらしい。
〇善法寺は廃されてないらしい。
〇宝物の一部は宝物殿に収納されているらしい(大層な書画の真贋は不明)

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