2019年7月22日月曜日

★奥の細道紀行 第65章 飯坂温泉

奥の細道》《其の夜飯塚(★註1)にとまる。温泉(いでゆ)あれば湯に入りて宿をかるに、土坐(どざ)に莚(むしろ)を敷きて、あやしき貧家也。灯もなければ、ゐろりの火(ほ)かげに寝所(ねどころ)をまうけて臥(ふ)す。夜に入りて、雷鳴(かみなり)、雨しきりに降りて、臥せるうえよりもり(漏り)、蚤・蚊にせゝられ(食われ)て、眠らず。持病さへおこりて、消入る斗(ばかり)になん。短夜(みじかよ)の空もやうやう明くれば、又旅立ちぬ。》
曾良随行日記》『‥川を越え。十町程東に飯坂(註2)と云う所有り。湯有り。村の上に庄司館跡有り。‥‥飯坂に宿る。湯に入る』 
(★註1)「飯塚」は「飯坂」の誤記。《奥の細道》は写本しか残っていない。写本故に生ずる誤記。
(★註2)曾良随行日記』は「飯坂」と正しく表記している。随行日記は昭和になってから奇跡的に原本が発見された。
《奥の細道》で飯坂は酷い書かれようだが、これは当時の寒村飯坂の事で、今の飯坂温泉町は全然違う。散々に書かれたが、それでも飯坂の人達は芭蕉が訪れて湯に入ってくれ、しかもそれを百代の文学作品の中に筆を割いて採り容れてくれたことに誇りを持ち感謝している。
福島交通飯坂線・飯坂温泉駅
 駅舎の隣に、芭蕉銅像が建っている。


飯坂温泉街
長らく芭蕉と曾良が飯坂温泉で浸かった湯とされてきた「滝の湯」跡入口発見。右往左往の苦労の末に。
↓「俳聖松尾芭蕉ゆかりの地入口」

 不気味な路地を下る。

「滝の湯跡」
今は湯が出ていない。
 「俳聖松尾芭蕉ゆかりの地」石碑 「奥の細道」の飯坂温泉の件の一節が刻されている。



摺上川

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