2019年10月2日水曜日

★奥の細道紀行 第107章 ⑥松島の宿(主・久之助)

奥の細道》《江上(こうしょう)に帰りて⑥宿を求むれば、窓をひらき二階を作りて、風雲の中に旅寝するこそ、あやしきまで、妙なる心地はせらるれ
松島や鶴に身をかれほととぎす 曾良
(松島の景色にほととぎすの風姿は似合わない、ほととぎすよ、鶴に身を借れ)
予は口をとぢて眠らんとしていねられず。旧庵をわかるゝ時、素堂(江戸における芭蕉の雅友)松島の詩あり、原安適(江戸の歌人)松がうらしまの和歌を贈らる。袋を解きて、こよひの友とす。且、杉風(さんぷう)・濁子(じょくし)が発句あり。》
〇松島の宿りは二階建の海に窓を開いた風流な宿屋だった。
曾良随行日記』 『松島に宿す。久之助と云。加衛門状添』
〇以前松島を訪れたとき、瑞巌寺の門前(海岸線)に「芭蕉が月を見ながら一宿した宿」と二階のガラス窓に大書した貼り紙をした二階建(一部三階)の土産物店兼宿屋があった。多分この家の主が「久之助」の子孫に該るのだろう。
↓この写真建物の二階の窓ガラスに「芭蕉が月を見ながら一宿した宿」の貼り紙があったのだが、その時は交通量が尋常でなく駐車スペースが見当たらないのでそのまま通り過ぎてしまい、撮影せずじまいになった悔いがずっと残った。国道を跨いだ右側が松島湾。

それで2,3年後に写真を撮ろうと再訪したら、↑東日本大震災津波の被害を受けて修復中で、肝腎の「芭蕉が月を見ながら一宿した宿」の貼り紙は見られなかった。が、この建物に間違いはない(写真右手前に一部覆いが見える所に件の建物がある。参道奥中央に山門が見える。左手前の石碑には国宝瑞巌寺と刻してある)。元禄時代にはここに「久之助」という屋号の旅籠があった。

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