2019年10月31日木曜日

★奥の細道紀行 第143章 宮城県大崎市「尿前(しとまえ)の関」

↓国道47号線を登っていたら「おくのほそ道・尿前の関跡」の案内表示を発見。急ブレーキをかけて路肩のPに停止。
 ↓関跡へ下りて行く。急坂。




 ↓右碑「出羽街道・中山越」、左碑「史跡・出羽仙台街道中山越」
 ↓「おくのほそ道・封人の家 10km」
 ↓出羽仙台街道(羽後街道・北羽前街道、鳴子温泉の先で羽後行きと羽前行きに街道が分岐する。追分)
 「奥羽山脈中の最低部を切り開いて造られた、多賀城より出羽柵への最短の街道。元慶の乱(878)の後、出羽と陸奥の境目にあり、軍事上の要所である尿前に岩手の関が設けられ、寛文10年(1670)改めて、尿前境目番所を設け、往来を厳しく取締った。元和年中(1615~23)国境から岩出山までに、尿前・鍛冶谷沢・下宮・岩出山の4駅が置かれ、後さらに中山の宿にも駅が置かれた。元禄の仙台領絵図に「鳴子村より境まで難所、10月より3月まで積雪、馬足不叶(かなわず)」とあり、ここより尿前までは難所続きで、元禄2年(1689)松尾芭蕉が曾良と共にこの街道を難儀して境田に向っている。‥‥」
 尿前の関の門前に着く
奥の細道》《小黒崎・みづの小島を過ぎて、なるご(鳴子)の湯より尿前の関にかゝりて出羽の国越えんとす。此の路、旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて(★註1)、漸(やうやう)として関を越す。
★註1『曾良随行日記』にも対応する記事がある。under line 部分
曾良随行日記』 『‥‥。壱リ(里)尿前シトマヘゝ取付く左の方、川向ニ鳴子ノ湯有り(★註2)。沢子ノ御湯成ト云う。仙台の説也。関所有り。断(ことわり)六ヶ敷(むつかしき)也。出手形(でてがた。入手形と対)ノ用意可ㇾ有ㇾ之(これ有るべき)也壱リ半 、中山。
★註2 鳴子温泉の西約2kmに尿前の関があった
↓門柱に「尿前の関」
 ↓関所の中




 ↓昔の関所の中
 ↓芭蕉翁像と芭蕉句碑






 ↓奥の細道・尿前の章段が刻字され、《蚤虱馬の尿する枕もと》の句が最後に刻まれている。
 〇鳴子温泉、尿前の関には義経・弁慶伝説が残っている。

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