2019年10月29日火曜日

★奥の細道紀行 第136章 栗原市真坂「芭蕉衣掛(ころもかけ)の松」

〇羽前上街道から外れた山中に「芭蕉衣掛(ころもかけ)の松」があるというので立寄ってみた。


 ↓「芭蕉衣掛の松 芭蕉が門人曾良を供に元禄2年5月16日(旧暦3月27日)江戸を旅立ちし、6月29日平泉で藤原三代の盛衰に涙し,一ノ関に再泊、翌30日一ノ関から上街道を岩出山へ向かった。岩ヶ崎を経て真坂への途中、ここ志登ヶ森の頂上に着いた二人は、松の枝に衣を掛け、汗ばんだ肌に風を受けてしばし休息した。松の根元の碑は昭和18年、芭蕉250年祭に建立したものである。南面に「芭蕉衣掛の松 通敬無一道人」 北面に「芭蕉は平泉の古跡を探りて道すがら5月14日(旧暦)ここに立ち寄りてこの松の樹に衣を掛けて息いければ芭蕉衣掛の松とぞ称しける」と彫られてある。ここは昔、藩主の領内巡視の「お遠見場」で北に束稲山、東に石越観音、西から南に栗駒山、花渕山、舟形山、築館薬師山、涌谷箟岳山が望見される眺望絶佳の地である。惜しい事に衣掛の松は先年虫害に倒れ、平成4年に2代目の松が移植された」







  この山中の道のその先は覚束ない。街道筋に出るとは思えない。この地は単なる伝説の地で、芭蕉が実際ここに立ち寄ったという事績はないと思った。二人は旧蹟・歌枕・俳友を訪ねて先を急ぐ身だった。。

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