2019年10月30日水曜日

★奥の細道紀行 第139章 宮城県大崎市「岩出山」芭蕉一宿の地

奥の細道》《南部道遥かにみやりて、岩手(いわで)の里に泊る。》 芭蕉は、一関から岩出山までの行路をたった一行で済ませている。
曾良随行日記』の記載は詳細。『(五月)十四日 天気吉。一ノ関を立つ。四リ(里)、岩崎(栗原郡也。一ノハザマ(一迫))、藻庭大隈。三リ(里)、真坂(栗原郡也。三ノハザマ(三迫)、此の間ニ二ノハザマ(二迫)有り)。‥‥[真坂]四リ(里)半、岩手山(伊達将監)。やしきモ町モ平地。上ノ山は正宗ノ初ノ居城也。杉茂リ、東の方、大川也。玉造川ト云う。岩山也。入口半道程前より右ヘ切レ、一ツ栗ト云う村ニ至ル。小黒埼可ㇾ見トノ義也。二リ(里)余、遠キ所也故、川ニ添い廻りテ、及ㇾ暮岩手山ニ宿ス。‥‥』 
〇一関から芭蕉と曾良は奥州上街道を辿って岩出山に着いた。山谷(曾良の云う「ハザマ」は谷だろう、「迫」という字が当てられていた)が起伏する山道だった。岩出山に出たら平地が開け、大川も流れていた。小黒埼(おぐろざき、歌枕)は見るべきだと言われて一つ栗という村まで行ったが、二里もあって遠い所であり、夕暮れが近づいてきたので踵(きびす)を返して玉造川沿いに岩出山宿に戻ってきて一泊した。
↓岩出山市街地図 左上に城山公園・岩出山城址がある。政宗公平和像が建っているそう。注目すべきは、真ん中やや右側に信号交差点があり、その下に「南町商店街」と書かれ、その「商」の字の右に赤丸が付され「芭蕉像」と表示されていること。ボクは勇躍して探訪にかかった。

↓松尾芭蕉銅像発見




↓「おくのほそ道と岩出山 ‥‥この時、芭蕉が通ったと思われる古道が、岩出山町真山地区に残っており、現在は「国指定史跡・陸奥上街道」として整備され、いにしえを偲ぶことができます。芭蕉に同行した門人、曾良の日記によると、十四日のうちに小黒ヶ崎、美豆の小島(岩出町と鳴子町の境)を見ようと足を進めましたが、二里(約8km)ほど先であるため、岩出山に戻り宿泊し、翌十五日に訪れたことがわかります。‥‥。なお、芭蕉が宿泊したのは石崎屋という旅籠で、現在の岩出山交番所付近にあったといわれています。」
↓旅籠・石崎屋の跡といわれる敷地に建つ交番所。芭蕉像から小路を挟んで隣の土地。労せずして芭蕉像と芭蕉一宿の地を探訪できて好運。

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