2019年12月1日日曜日

★奥の細道紀行 第198章 鶴岡市温海町「塩俵岩、芭蕉句碑」

曾良随行日記』 『○廿六日 晴。大山ヲ立。‥‥大山 より三瀬(さんぜ)へ三里十六丁、難所也。三瀬より温海へ三リ(里)半。此内、小波渡・大波渡・潟苔沢ノ辺ニ鬼かけ橋・立岩、色々ノ岩組景地有。未ノ尅、温海ニ着。鈴木所左衛門宅ニ宿。‥‥』
〇これから紹介するのは、三瀬から温海への道中にある「塩俵岩」。これも「色々の岩組景地」の一つ。
芭蕉句碑発見。地元の人々に句碑の所在を尋ね廻っても分る人はいなかった

「芭蕉遺蹟・温海
あつみ山や吹浦かけて夕涼み 芭蕉
芭蕉と曾良が酒田から大山を経て海岸の景勝地を見ながら温海に着いたのは、元禄2年旧暦626日未刻で、鈴木惣左衛門宅に旅装をといた。その家は浜温海(はまあつみ)の旧国道筋で、鈴木美津子宅の祖先に当たる。首標の詠句は、同19(陽暦84)酒田の不玉と共に小舟で納涼のときの立句である★。翠峰温海岳から吹浦かけての景趣と涼風に感動した雄大な句である。なお芭蕉は翌朝馬で越後路に出発し曾良は湯温海(ゆあつみ)を見て後を追った。
荒海や佐渡によこたふ天の河―芭蕉」
★下線部の事績は、初めて聞く。その通りなら、句意がよく理解できる
 ↓中央・芭蕉句碑。背後の左右にある岩は「塩俵岩」の一部。
句碑
 《あつみ山や吹浦かけて以ふ(夕)涼み 芭蕉》
 ↓ここが名勝「塩俵岩」だった。草に覆われて「塩俵」感がないが
↓「名勝 塩俵岩」
 塩俵を積み上げたような岩相が見える


↓塩俵の様相が見える。溶岩流の冷え具合で現れる



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