2019年12月9日月曜日

★奥の細道紀行 第207章 村上市①「井筒屋」(芭蕉が二泊した旅籠)

『曾良随行日記』『○二十八日 朝晴。中村ヲ立、‥‥申(さる)ノ上刻(午後3時半頃)ニ村上ニ着、①宿借テ②城中へ案内。喜兵・友兵来テ逢。彦左衛門ヲ同道ス。
○廿九日 天気吉。昼時(帯刀公ヨリ百疋給)喜兵・友兵来テ、③光栄寺へ同道。 一燈公ノ御墓拝。道ニテ鈴木治部右衛門ニ逢。帰、冷麦持賞。未ノ下尅、①宿久左衛門同道ニテ④瀬波へ行。帰、喜兵御隠居より被下物、山野等 より之奇物持参。又御隠居より重之内(重箱入りの御馳走)被下。友右ヨリ瓜、喜兵内 より干菓子等贈。
一 七月朔日 折々小雨降ル。喜兵・太左衛門・彦左衛門・友右等尋。 喜兵・太左衛門ハ被見立。朝之内、⑤泰叟院へ参詣。巳ノ尅(午前10時)、村上ヲ立。‥‥』
〇芭蕉と曾良は村上城下に二泊した。その事績は曾良の随行日記に書き残されている。随行日記記載の村上における事績全部を探訪しようと試みた。村上市街を走り回っているうちに芭蕉が二泊した宿「久左衛門」(井筒屋)を偶然発見し、そこで女性から懇切な探訪先の案内を受けた。お蔭で村上市内の探訪はすべてが快調に成功裡に終わった。
↓村上市内を走り回って不図眼を合わせると、目の前の建物が「井筒屋」ではないか。


↓「芭蕉宿泊地跡 元禄2年(1689)6月、芭蕉と曾良が、「奥の細道」行脚の途次、当村上城下に2泊3日した折の「宿久左衛門」跡です。」
↓この看板の右下隅に「以津ヽ屋(いづつや)」の文字が見える。


↑「「小町」(こまち) 大町の北に続き、中ほどでクランク状に折れて小町坂を下り、庄内町に接する。小町坂の部分を古くは下小町と呼んだ。寛永12年(1635)の村上惣町並銘々軒付之帳によれば、家数は「小町」34、「下小町」13とあり、元禄2年(1689)、芭蕉が奥の細道の途次、弟子の曾良と2泊した「宿久左衛門」があった。旅籠屋の多い町で、安政2年(1855)、幕末の志士清川八郎も投宿し、城下の見聞を書き残している。町名は大町に並ぶ古い町立てから。」

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