頼朝の配流の地「蛭ヶ小島」に行き当たらないかと伊豆半島の付け根を横断する道を選んで走ったがかすりもしなかった。いつしか峠を下れば伊東市に出る山道を走っていた。これではどうにもならないので熱海市に下りる峠道へ分岐した。熱海温泉は巨大だった、和倉温泉とはスケールが違う。頼朝の旧蹟故地に回り逢わず仕舞いかと思っていたら「伊豆山神社」の案内があった。頼朝・政子と無縁ではない神社なので、急坂を登って探訪してきた。この神社、明治維新の際の神仏分離令により寺を分離して伊豆山神社と称するまでは、天台宗や真言宗との関わりが深い典型的な神仏習合の山だった。源頼朝は平治の乱の後伊豆国に配流されたとき、当社に源氏再興を祈願した。この間有力豪族の伊東祐親に追われて当社に身を寄せたり、小豪族の娘であった北条政子との逢瀬の場にするなど深い関わりを持ち、後に鎌倉幕府を開くとここを「関八州鎮護」と称えて多くの社領を寄進した。頼朝と政子の恋の舞台であったことから、現在も縁結びや恋愛成就を目的とする参拝客に人気があるそう。
とにかく石段を登りに登る。
手水舎
赤白二龍が水を吐く構図は「走湯山縁起」に書かれた伝説に由来する
境内。奥に拝殿が見える
拝殿
高野槇の大木
頼朝・政子の腰掛石
本殿を垣間見た
伊豆山神社で時間を食われたせいかここから大渋滞に巻き込まれた。伊豆山温泉・真鶴・小田原の間は文字通り一寸ずり。夕方鎌倉在住の従姉のナナエちゃんの家族とお呼ばれすることになっていたので焦りまくった。御蔭で小田原の手前に「石橋山の古戦場」があったらしいのを見落とした。このまま済ます訳にはいかないのでこの旅行の帰路にきっと立ち寄る。蛭ヶ小島も探し出して帰ろう。夕方7時過ぎにナナエちゃんの家の近くに着いたのだが、詰めを誤った。結局御主人の手と足を煩わせて玄関にお邪魔したのが晩の20:20。大迷惑を掛けたが、御家族全員との晩食は楽しくて最高の御馳走だった。明日はナナエちゃんに鎌倉の史蹟を案内して貰う。大船駅前のホテルまで御主人に案内して戴いたが大雨だった。明日の天気が好いことを祈っている。
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