鶴岡八幡宮を出て、従姉のナナエちゃんの案内で鎌倉の神髄を廻り始める
「畠山重忠邸跡」鎌倉大蔵(地名)幕府の南御門に在った。
この角地がそう。
法華堂跡
「法華堂は元頼朝の持仏を祀っていた所。頼朝の死後その廟所となった。健保5年和田義盛が叛いて幕府に放火した時、将軍実朝が難を避けたのは此処。宝治元年三浦泰村はここに籠って北条軍と闘い一族郎党500余人と共に自刃した所」だそう
明治維新の際、白旗神社と名を改めた
この石段を登ると《源頼朝》公の墓がある
これが頼朝公の墓
頼朝公の墓の横の崖を攀じ登って裏手に回ると、大江広元と島津忠久(薩摩島津家の始祖)の墓がある
墓への正式な登り口はこちら
鎌倉幕府時代の古道だそう
法華堂の手前・頼朝公の墓の近くに遊園地があるが、ここは三浦一族がこぞって立て籠り憤死した怨念の地だそう
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