小田原市街地を出ていよいよ石橋山探訪だと緊張。石橋山への入り口を細心の注意を払って発見しようとしたがまたも失敗。「石橋山古戦場500m先右折」という古びた案内標識を発見しておいてだから無念、というか不思議。該当する道といえば、車で登るのは無理だろうという管理状態最悪の道があったが、あれがそうなら止めておいて正解。合戦当時は海岸通りはなく、石橋山を越える山道が唯一の道だったのだろう。そして山上は騎馬合戦向きの開けた台地になっているに違いない。それだけ分ればもういいや、石橋山古戦場探訪の思いは放念する。代わりに思い出したのは石橋山で一敗地に塗れた後、頼朝主従が真鶴半島から舟に乗り安房の国に逃れてそこで再起した故事。それで夕暮れ迫る中、真鶴半島を一周。しかしどこにも頼朝の故事の案内が無かった。一周してみて分ったのは、頼朝主従は、真鶴半島付け根の真鶴港(真鶴の浦)から船出したに違いないということ。それ以外の地では、半島の先端に行けば行くほど往古には、舟などなく協力してくれる漁民もいなかったに相違ない。
真鶴港
山上を縦貫する道から眺めた真鶴港
真鶴半島の山中に中川一政美術館がある旨の看板が出ていたが、どうやら消滅したよう。その看板で閃いたのは、中川一政が一時期福浦漁港の風景に嵌っていたこと。そうだ、夕闇が下りる前のひと時、福浦漁港に寄ってみよう、そう思い県道伝いに福浦に下りたんだが、今の時代、東海地震の津波に備えて万里の長城の様なコンクリート護岸が延々と海岸に廻らされて絵になる風景など期待できない。熱海温泉に着いたときはすっかり宵闇の中。遠望した熱海の夜景の美しかったこと。が、街に入るとビルの大半の灯りが寂しい。伊東市には参った。花火大会で、折角見つけた道の駅には入れて呉れないし、交通規制で渋滞に放り込まれるしで散々。疲れたところで道の駅を見つけ万歳をしたばかりなのにこれはない(`´)。
ここは伊東と下田の間の国道付属のP。小さなトイレがあったので一旦通り過ごしたが戻って来た。今夜はここで泊まる。
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