鎌倉市教育委員会の説明板によると、国指定史跡「朝夷奈切通」は、いわゆる鎌倉七口の一つに数えられる切通で、横浜は金沢区六浦へと通じる古道(現在の県道金沢・鎌倉線の前身)。鎌倉時代の六浦は、鎌倉の外港として都市鎌倉を支える重要拠点。「吾妻鏡」には仁治2年(1241年)に、幕府執権・北条泰時の指揮の下、六浦道の工事が行われた記事があり、これが造られた時期と考えられている。その後「朝夷奈切通」は何度も改修を受けて現代に至っている。丘陵部に残る大規模な「やぐら(鎌倉時代頃の墓所)」群・切岸・平場や納骨堂跡などの遺構と共に、中世都市の周縁部の雰囲気を良好に伝えている。
切通を造ったために出来たと思われる小滝が切通の入口に在る
滝から直ぐに切通が始まる
側溝
ハンミョウがいた
クモの巣
お地蔵さんが残っている
側溝
側溝付きの道であったことが好く分る
やぐら(墓所)の遺構と思われる
峠を越えて横浜市金沢区側に下る道。こちらは切通ではない。
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