肌を直射していた太陽がすっかり傾いた頃、三島大社を目指した。韮山から意外と近い、しかも一筋道。到着は17:30。駐車料金は200円。守衛が言うには「閉門が6時だから料金は要らない。お参りは20分もあればできるから早く行って来なさい」。ええ~ッ20分間でぇ、と言いながら境内全域の写真を撮りまくりながら拝殿で参拝を済ませて戻って来たら丁度20分間。因みに行く先々で無数の神社仏閣にお参りして一体何をお祈りしているのかというと大変シンプル。神仏の名を称えてから「家族みんなをお守り下さい」、これだけ。
表参道の大鳥居
参道の左右に古池がある
芸能殿。慶応4年に完成した旧総門。昭和5年の伊豆大震災後現在の総門が完成したため、今は芸能殿として保存されている。
裏参道へと続く
総門
立て札によると「源頼朝・北條政子の腰掛石」「治承4年5月、源頼朝が平家追討の心願を込めて百日の日参をした折腰を掛けて休息したと伝えられる。右側は北條政子が腰かけた石」
神馬舎。「古くから当社の神馬は毎朝神様を載せて箱根山に登るという伝説があり、旧神官はお馬様が帰ったと言って朝食にしたと伝えられ、子供の成長と健脚を祈る風習がある」
手水舎
神門
舞殿「古くは祓殿と呼ばれ神楽祈祷を行ったが、後には主として舞を奉納したので舞殿と呼ばれるようになった。現在は舞の他、田打ち神事・豆撒き神事・鳴弦式神事などの神事の他、祈祷・結婚式等も行う」
五社。左から「幸神社」「第三社」「聖神社」「天神社」「大楠社」
見目神社「若宮神社と同じく御本社と最も関係の深い社で摂社という。御祭神は三嶋大神の后神六柱を祀る。昔は御本社大祭の前々日、幕府より奉献の玉簾を在庁(将軍の代理)が奉持しこの社前で検分のうえ神主に渡す儀式が行われた」
若宮神社「古くは八幡宮・若宮八幡宮又は若宮社等と呼ばれた。御祭神は物忌奈乃命(三嶋大神の御子神)・誉田別命(応神天皇)・神功皇后・妃大神を祀る社である」
五社。左から「船寄社」「飯神社」「酒神社」「第二社」「小楠社」
拝殿
本殿。流れ造(棟より前方の屋根が、後方の屋根よりも長く反っている建築様式)
「三嶋大社の創建は明らかではないが、鎌倉時代の初期には関東総鎮守として源頼朝や多くの武将の尊崇を受けた名社である」とのこと。
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