後醍醐天皇の皇子である護良(もりなが)親王を祭神とする神社。護良親王は、後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕の動きに呼応して幕府軍と戦うなど貢献した。幕府が滅亡し天皇親政が復活すると(建武の新政)征夷大将軍に任じられたが、その後足利尊氏と対立して捕えられ、28歳で非業の最期を遂げた。社殿の後ろ手に残る土牢が親王最期の地と伝えられている。
ナナエちゃんの話では、明治天皇が、護良親王のことを思うといつも胸が痛むと嘆かれるので創建されたそう
拝殿
本殿
本殿の裏
本殿の後ろ手に在る土牢
護良親王の首が落とされた所と伝えられる
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