温泉神社・殺生石から歌枕「遊行柳」を目指した。峠を二つ三つと越える山道。芭蕉と曾良もこの峠越えの道には往生したよう。
《曾良随行日記》『(4月)20日 ‥辰下剋(午前9時前)、湯本を立つ。‥‥湯本より総て山道にて能不ㇾ知して難ㇾ通(よく知らずして通り難し)‥‥』『芦野ヨリ白坂ヘ三リ八丁。芦野町ハヅレ、木戸ノ外、茶ヤ松本市兵衛前ヨリ左ノ方ヘ切レ (十町程過テ左ノ方ニ鏡山有)、八幡ノ大門通リ之内、左ノ方ニ遊行柳有』
↓中央上やや左の「現在地」が史蹟「遊行柳」(∴印が付いている)。芦野と云う所。右下が白河の関。
《奥の細道》《又、清水ながるゝの柳は、蘆野の里にありて、田の畔(くろ)に残る。此(この)所の郡守、戸部(こほう)某(なにがし)の、「此柳みせばや」など、折々にの給ひ聞え給ふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日此柳のかげにこそ立より侍つれ。》
《田一枚植て立去る柳かな》
↓蘆野の里。この遊行庵の裏手に「遊行柳」がある。
↓田の中に遊行柳がある。↓遊行柳
西行 《道のべに清水流るゝ柳かげ しばしとてこそ立ちどまりつれ》(新古今集、山家集)
芭蕉はこの西行の歌枕に惹かれてこの地を訪れた。
↓芭蕉句碑
《田一枚 うゑてたち去る柳かな 芭蕉》
↓何代目かの遊行柳
↓根元を囲われたこちらの柳の方が古いそう。
↓遊行柳を通り過ぎて山手に行くと上の宮がある。古木が立ち並ぶ。中でもこのイチョウの木が立派。樹齢400年だそう。