2019年6月17日月曜日

〇4-27(土) 鳥取市「鳥取城跡・仁風閣(重文)」

〇久松山。この山頂に戦国時代、鳥取城の本丸があった。尼子氏を滅ぼした毛利氏の配下にあった。羽柴秀吉が、東播・三木城を兵糧攻めにした作戦が長引いたので、因幡国に軍勢を割いて出張し鳥取城を落して主君信長に一働きを見せようと足を延ばした。秀吉は鳥取城も兵糧攻めにした。毛利氏の重鎮吉川元春の命により石見から救援に赴いた守将吉川経家が腹を切って開城し、他の籠城将兵はすべて命を助けられて終わった。秀吉は因幡に出兵する前に若狭の商人に高値で因幡一円の米を買い占めさせていたので(城内の兵粮米さえ高値につられて売りに出された)、籠城は四か月ともたなかった。



鳥取城の石垣跡



 〇重文・仁風閣


↓左に城の石垣







0 件のコメント:

コメントを投稿