2019年6月25日火曜日

★奥の細道紀行 第27章 ①雲巌寺

芭蕉と曾良は43日に黒羽城の館代浄法寺図書(調所のことか)桃雪方に着き、その夜は桃雪の弟鹿子畑翠桃(かのこばたすいとう)邸に赴いて泊った。翌日4日に浄法寺桃雪邸に招かれ、以来そこで11日まで泊った『曾良随行日記』
5日は雲巌寺見物に出かけた『曾良随行日記』
奥の細道》《当国雲岸寺のおくに仏頂和尚(ぶっちょうおしょう)山居跡あり。
竪横(たてよこ)の五尺にたらぬ草の庵(いほ)むすぶもくやし雨なかりせば
と松の炭して、岩に書付(かきつけ)侍りと、いつぞや聞え給ふ。其跡みんと、雲岸寺に杖を曳(ひけ)ば、人々すゝ()んで共にいざなひ、若き人おほ(多)く道のほど打さは()ぎて、おぼえず、彼(かの)梺(ふもと)に到る。山はおくあるけしきにて、谷道遥に、松杉黒く、苔したゞりて、卯月の天、今猶寒し。十景尽る所、橋をわたって山門に入。さて、かの跡はいづくのほどにやと後(うしろ)の山によぢのぼれば、石上の小庵、岩窟にむすびかけたり。妙禅師(みょうぜんじ)の死関(しくわん)、法雲法師の石室をみるがごとし。
木啄(きつつき)も庵(いほ)はやぶらず夏木立
と、とりあへぬ一句を柱に残(のこし)侍し。》
↓橋を渡って山門に入る。

三門(山門)
「雲巌寺専門道場」と墨書されている。
「碧巌録提唱」と大書してある。臨済禅。
三門を潜ると真正面に仏堂

仏堂の内部。釈迦牟尼仏か。
鐘楼

平和観音堂
芭蕉句碑
《木啄も庵はやぶらず夏木立》

↓「松尾芭蕉は、元禄245(陽暦5231689)に雲巌寺にある仏頂和尚の山居の跡を見ようと人々を誘い山道を賑やかに打ち興じ、道々の景を賞でながら山門を潜った。『奥の細道』に「かの跡はいづくのほどにやと厳の山によぢ登れば、石上の小庵岩窟に結びかけたり。妙禅師の死関、法雲法師の石室を見るごとし。
木啄も庵はやぶらず夏木立
と、とりあえぬ一句を柱に残侍し」とある。
仏頂和尚は、常陸国鹿島根本寺の住職で鹿島神宮との寺領争いを提訴のために江戸深川の臨川庵に滞在していた。芭蕉はこの時に仏頂和尚との交渉を持ったという。また参禅の師ともいう。和尚の山居の□に「たて横の五尺にたらぬ草の庵むすぶもくやしあめなかりせば」があり、芭蕉が山居の跡を見ようとしたいわれの歌でもある。芭蕉は、樹下石上の小庵をなつかしみつつ、さすがの木啄も、この高徳な仏頂和尚の庵だけは破らぬという礼讃の句を柱に残して惜別した」
右手前・仏堂、奥中央・方丈
一段高い丘の上に建つ庫裡
庫裡の前から見た方丈

方丈と庫裡の間の式台(玄関)
中央・禅堂、右端・方丈
禅堂
仏堂、奥に方丈
山内から見た三門



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