2019年6月26日水曜日

★奥の細道紀行 第29章 ③玉藻の前の古墳

《奥の細道》(黒羽で)日を経るままに、一日(ひとひ)郊外に逍遥して、犬追物の跡を一見し、那須の篠原をわけて玉藻の前の古墳をとふ
曾良随行日記』「10日、雨止む。日久しくして照る。11日、小雨降る。余瀬翠桃へ帰る(この日から芭蕉は鹿子畑翠桃邸に泊まることに)。晩方強雨す。
12日、雨止む。図書(桃雪)見まわれ、篠原に誘引される」

 ↑「篠原玉藻稲荷神社 ここは、お稲荷さんと称える作神さまと玉藻の前(九尾の狐)とを祭った由緒深い社である。宝前の社殿改建記念碑と石の鳥居の柱にいわれなどが記してある。建久4年(1193)源頼朝が那須のときこのやしろに参詣したという伝えがある。また元禄2年4月12日(陽暦5月30日・1689)松尾芭蕉は、この篠原の地を訪れている。「おくのほそ道」に《ひとひ(一日)郊外に逍遙して、犬追物の跡を一見し、那須の篠原をわけて、玉藻の前の古墳をとふ。》とある。境内に芭蕉の句碑《秣おふ‥》と源実朝の歌碑《武士の矢並みつくろふ‥》がある。また九尾の狐退治の伝承地としての「鏡ヶ池」と「狐塚」の霊を移したという祠がある。なお狐塚址はここより北東の地の県道沿いにある。」

↑↓ 金槐和歌集・源実朝(草枕)
もののふの矢並(やなみ)つくろふ小手の上(え)に霰(あられ)たばしる那須の篠原

↓鏡ヶ池
 拝殿
↓芭蕉句碑
 ↑《(まぐさ)おふ(負う)人を枝折(しおり)の夏野哉 芭蕉》

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