2019年6月7日金曜日

★奥の細道紀行 第6章 草加宿

芭蕉と曾良が千住宿を旅立ったのは327日(新暦516日)。その日二人は草加宿に着いた。
奥の細道》《ことし元禄二(ふた)とせにや、奥羽長途の行脚只かりそめに思ひたちて、呉天に白髪の恨を重ぬといへ共(ども)、耳にふれていまだめ()にみぬさかひ、若(もし)(いき)て帰らばと、定なき頼の末をかけ、其日(そのひ)漸(ようよう)早加(草加)と云(いう)宿(しゅく)にたどり着(つき)にけり。痩骨(そうこつ)の肩にかゝれる物、先(まず)くるしむ。只身すがらにと出立(いでたち)(はべる)を、帋子(かみこ)一衣(いちえ)は夜の防ぎ、ゆかた・雨具・墨筆のたぐひ、あるはさりがたき餞(はなむけ)などしたるは、さすがに打捨(うちすて)がたくて、路次(ろし)の煩(わずらい)となれるこそわりなけれ。》
わざわざ漸く草加宿にたどり着いたと書いてあるので、この日の宿泊地のようにとれるがそうではない。
曾良随行日記》『廿七日夜、カスカベ(粕壁、春日部)ニ泊ル。江戸ヨリ九里余』
この日は草加宿からさらにずっと歩いて越谷宿を通り過ぎ粕壁(春日部)宿に達して泊まっている。
旧日光街道と思しき県道を選んで走って行ったら「是従(これより)草加宿」の街燈の立つ小公園(草加せんべい発祥の地の表示あり)とその中に佇む河合曾良の銅像に出逢えた。
河合曾良の銅像。
曾良が居れば芭蕉も居るはずと目を皿にして進行すると‥‥居た。
↓綾瀬川沿いの「札場河岸公園」に立つ松尾芭蕉銅像。
松尾芭蕉の銅像


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