2019年6月13日木曜日

★奥の細道紀行 第15章 養源院

〇《奥の細道》に書かれた日光での芭蕉の動静記事は少ない。(如月)丗日、日光山の麓に泊る」「卯月朔日、御山に詣拝す」。こう書かれているだけだが、曾良随行日記によると実際は「四月朔日‥辰(たつ)の上剋(じょうこく)(午前7時過ぎ) (鹿沼宿の)宿を出る。‥‥午(うま)の剋(こく)(正午頃)日光へ着く。‥清水寺の書、養源院へ届ける。大楽院へ使僧を添えられる。折節(おりふし)大楽院、客これ有り、未(ひつじ)の下剋(げこく)(2時半過ぎ)迄待ちて御宮拝見す」という次第。当時養源院に社務所があったらしい。午後3時頃から参詣したとなれば、その日廻れたのは東照宮だけだったろう。日光山に詣でるとなれば、他に「輪王寺」「二荒山神社」にも参詣するのが普通なのだが。
〇本宮神社・四本龍寺を抜けて坂を上ると「養源院跡」に出る。
〇「養源院」は廃寺となって跡形もない。




家康の側室だった於六の方の菩提を弔うために建てられた。「元禄2年(1689)には、松尾芭蕉が奥の細道行脚の途中、この寺を訪れてから東照宮に参詣した」 明治以降廃寺となった。廃仏毀釈の荒波を被ったと思われる。




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