2012年10月16日火曜日

〇長野県上田市・真田氏の「上田城」(一)

〇上田城の駐車場に着いた。いざ城址へ。西櫓が見える。何故ボクはわざわざこの城の見分に出向いてきたのか――それは「真田氏の城」だから。 「真田氏の城」というだけで戦国の世のロマンの香りがする。それだけでない、この城は二度徳川軍と戦って負けなかった。一度は徳川家康に、営々と築き上げた上州・沼田城を召し上げられそうになって抵抗し家康派遣の討伐軍を撃退した。二度目は、会津の上杉景勝討伐から転身して関ヶ原の戦場に駆けつけようとする徳川秀忠の軍勢25,000を一週間釘づけにして関ヶ原開戦に間に合わなくさせた。いずれも真田の守勢は2,500位のもの。このような戦国ロマンに満ちた上田城がどのような構造・規模のものか、この目で見分したかった。
手前は本丸出入口の櫓門付属の南櫓、奥・左端は西櫓。
↓二の丸壕・外堀跡。ここを、昭和3年に上田温電北東線が開通して走り出したそう。昭和47年まで走っていた。正面に見える橋は「二の丸橋」。
二の丸橋を渡って二の丸跡に入る。
現在の上田城公園
↓1647年の上田城古図。
↓真田十勇士の一人・猿飛佐助か霧隠才蔵。
↓本丸入口櫓門前広場(二の丸の一部)に立つ真田十勇士のうち二人。女性の勇士は火縄銃を担いでいる。
↓本丸・東側の壕
本丸出入口・櫓門。左端は南櫓。


櫓門の右は、北櫓。


櫓門を潜って振り返り見た。
北櫓
南櫓

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