↑「奈良時代後半(750年頃以降)~平安時代前期(950年頃)にかけて、古代肥前国(現代の佐賀・長崎県)の中心となった役所跡で、東西約83m、南北約106mの築地塀で囲まれた国庁域を有する。国庁の全容が明らかになっている遺跡は全国でも数ヶ所しかなく、古代の地方行政府のありかたを知るうえで、貴重な遺跡である」
↓中央の建物。手前から南門、前殿・正殿・後殿。右側の建物、手前から東脇殿・南棟、同・北棟。左側の建物、手前から西脇殿・南棟、同・北棟。建物配置は太宰府政庁とよく似ている。
↑「肥前国庁跡は8世紀後半に創建され、9世紀前半に国庁域が拡大して築地塀となり、後殿が出現し、東西の脇殿が長棟化して、すべての建物が掘立柱建物から礎石建物に建て替わる。さらに9世紀後半代には、正殿に小翼廊が付き南門に取り付く築地塀も特殊な構造となり、太宰府政庁とよく似た形状の建物配置となる。10世紀後半には国庁の役割を終える。」
↓南門
↓四周は築地塀で囲まれていた。
↓建物の礎石跡が見える。
↓同上。
2013年9月2日月曜日
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