2011年5月31日火曜日

4/30(土) 備中一宮「吉備津神社」(3)

「御釜殿」。御釜鳴り物神事(吉凶占い)が執り行われる。 「御釜殿」
また回廊の本通りに戻る。
左手・中山側に末社が三つ、右から八幡宮・大神宮・春日宮。
回廊を左折して脇道すると「御供殿」がある。祭神にお供えする食事を整える所らしい。
さらに回廊本通りを行く。
遂に終点。終点は拝殿。
本殿。合祀されている神々の社は、本宮社を主として御崎社・内宮社・新宮社。
道を挟んで小さな社が目立つ。
回廊の終点は、裏参道の入口らしい。
牡丹苑があった。


南隋神門が最もよく見える地点。

4/30(土) 備中一宮「吉備津神社」(2)

重文・南隋神門
拝殿と本殿
いよいよ回廊を下る


南隋神門。その全容はなかなか見えない。いいアングルがない。
南隋神門から見た回廊

回廊下り左山側に 「吉備津えびす社」
さらに回廊を行く
左側に古社

回廊右手に「御釜殿」とそこに至る回廊が見えてきた。
右折して「御釜殿」へ行く回廊丁字路。

4/30(土) 備中一宮「吉備津神社」(1)

備中一宮「吉備津神社」に着いた。吉備津彦神社からここに来るには、吉備中山という小山の裾を半周するだけでいい。小山を半周すると備前国から備中国に入るのかというと、その通り。吉備中山の山奥から流れ出した細流が小川をなして田園地帯を流れて行く、この小川が何と国境をなす。吉備の国が未だ備前・備中・備後の三ヶ国に分国されていたない古代には、ここ「吉備津神社」が吉備国・総鎮守社だった。それが分国に当たり、ここ吉備津神社の祭神が分神されて備前と備後の各吉備津彦神社に鎮まった。因みに備後・吉備津彦神社は福山市にある。 「矢置岩」。大昔、鬼神・温羅(うら)が民に害をなした。大吉備津彦命が吉備の中山に陣取って矢を射て温羅と闘った。その矢を置いた岩がこれ。温羅が陣取った山が新山or「鬼城(きのじょう)」だとも。
新山と吉備中山との中間に、吉備津彦命の放った矢が温羅の投げた大岩を空中で真っ二つにし割られた岩が地上に落下して残した神蹟を祀っている「矢喰(やぐい)の宮」がある。近くに「鯉食(こいくい)神社」もある。鯉に化けた温羅を吉備津彦命が捕まえた所だという。
北隋神門へ登る石段。


重文・北隋神門



国宝・拝殿。掲額は「平賊安民」と認(したた)めてある。

これは拝殿ではない。石段を上った休憩所のようなもの。

国宝・拝殿と本殿
拝殿

双翼寄棟造りの本殿。国宝


本殿の裏手に小高い丘がある。そこに「一童社」がある。

一童社本殿

4/30(土) 備前一宮「吉備津彦神社」

吉備津彦神社は備前一宮と称される古社。吉備津神社と呼称が似ていて紛れる。後者は、本殿が二重連の檜皮葺の棟で構成される国宝であり、長い長い直線の回廊が傾斜地境内を繋いでいる特異な様相で有名。
この灯篭は日本一大きいそう。左右にある。 拝殿へ

拝殿


この社は只者ではない。荘重な建物が縦列に四棟奥へ奥へと連なる。吾輩の観察では、左が第一殿だがこれは外拝殿、右が第二殿だがどうやらこれは内拝殿。
第二殿・内拝殿

左が第三殿だがどうやらここから本殿らしい。右が第四殿だがこれが奥の本殿であることは違いない。第三殿は前の本殿か。

第三殿・前本殿

第四殿・奥本殿

今度は四重連の社殿を左側から観察。

右端が第一殿・外拝殿。左が第二殿・内拝殿

第三殿・前の本殿

第四殿・奥の本殿

社殿の左側に展開する境内。稲荷社がある。

末社が並んでいる。一番手前が「温羅(うら)神社」。

社殿の右側に展開する境内。「子安神社」がある。



さらに右に天満宮。

さらに右に摂・末社が並ぶ。

神社の前に「犬養毅」の銅像が建つ。