海住山寺の山を下ると近くに恭仁宮跡があるというので探し回った。一車線あるかなしの農道を走り回って苦労した。そしてとうとう行き着いた。
聖武天皇の代、奈良平城京は一旦捨てられて都は畿内を転々と放浪した。その一つがこの恭仁京。僅か四年で廃都になった。そのあと太極殿を金堂にして壮大な国分寺が建立された。都の方は結局奈良平城京に戻った。
「史蹟・山城国分寺跡」の石碑
この礎石の規模と並びから見てここに建っていた塔は七重塔だったと推測されている。
ムクドリ発見
上図七重大塔の左にあるのが金堂だが、現地のその辺りには「恭仁京・太極殿址」の石碑が建っている。
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