金剛山麓をさらに北上したら「高天彦神社」があった。御所(ごせ)市。車道から外れて古い参道がある。
来た道を振り返ったら、絵になる構図・風景があったので撮影。
神社が望める位置に来た。
参道
高天彦神社・鳥居。由緒書によると「御祭神・高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)。由緒・天照大神の子の天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)に本社の御祭神の娘、タク幡千々姫(たくはたちぢひめ)が嫁ぎ、御子のニニギノミコトが高天原から降臨される。その神話に言う高天原(たかまがはら)がこの台地である。御祭神を祖神とした葛城族は、大和朝廷に先行する葛城王朝を築き、亡びた後も平群(へぐり)・巨勢(こせ)・蘇我の豪族として栄えた。延喜の制では、名神大社に列し、月次・相嘗・新嘗には、官幣に与ってきた神社である」
中鳥居と本殿
本殿。
↓右赤い屋根が本殿。左が「三十八社」。
↓「祭神・葛城三十八皇神」と認(したた)めてある。
本殿
↓この写真では左側を行く御老人に注目して欲しい。この老人、ダラダラ登りの坂道をスタスタ歩きながら、撮影している吾輩に挨拶してくれた。出逢う在所の人にも挨拶していく。トレッキングシューズを履きリュックを背にして足取りは見事なものだが、年齢は無慮80歳を越している。吾輩などは写真の地点で既に顎が出て脚は凍結している。
この神社はどうやら金剛山登頂の始発地らしい。あの爺さんはスタスタ確かな足取りで山頂を目指して行ったし、見ている間に次々と身支度をした人々が山中に消えて行く。ここで吾輩は金剛山頂に千早赤阪側からケーブルで登ったときのことを思い出した。山頂に「転法輪院」という醍醐寺派修験道の寺院・道場があり、その境内に認定登頂回数の大番付表が建てられていた。驚くべきことに最高の人は一万回を越していた。3,000回以上の人でも結構いる。千回程度は虫けら同然といった有様。あの老人、あの調子では多分日課のように登頂している。在所の人に顔が利く筈。ひょっとすると登頂回数最高峰の達人だったかも。神様に近い、有難い。
2012年3月30日金曜日
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