2012年3月22日木曜日

〇3/20(火、春分)奈良盆地に戻り、金剛山・葛城山の麓を徘徊した後、明日香村「飛鳥資料館」でキトラ古墳と山田寺の発掘資料を堪能した。

今日も一日好天。早目に出立して紀ノ川を遡上し五條市に至りそこから北上して山を越え奈良盆地・御所(ごせ)市に入った。金剛山麓・葛城山麓の古社寺を飛石伝いに探訪。「高嶋神社」はその辺りを発祥地とする全国の鴨・加茂氏の総社だと自負。「高天彦(たかまひこ)神社」は我こそは天孫降臨の地・高天原に鎮まりおると自負。この神社は金剛山(標高約1,000m)の登山口になっていて春分の好日とあって登山者が多い。中に無慮80歳越えと思しき爺さんがいて独りでスタスタ登って行く。(我が身に引き換え)「凄い馬力ですねぇ」と声を掛けたら「いやいや齢をとってしまって」と返事しながらスタスタ。そう言えば金剛山頂の転法輪寺(醍醐寺派修験道の道場)の境内に登頂回数番付が大きく貼り出されていて3,000回以上がザラにいて、トップは何と‥‥?忘れたが一万回超ではなかったか。あの爺さん、あの年齢とあの歩きの強靭さからして金剛山修験道の主に違いない。世が世なら修験道のいでたちで現れた筈、今はリュックに靴のいでたちだったが。葛城山麓の「一言主(ひとことぬし)神社」は神話時代の記紀伝説に登場する由緒ある神を祀ることを主張。古代葛城族の本拠地で堂々と主張されると凄く説得力がある。神社そのものはいずれも小さい。寺院は二つ訪ねたが見るべき由緒を持つものはない。途中間違って河内の千早赤阪に出てしまった。引き返すとき癪なので旧道の峠を越えて役の行者ゆかりの「祈りの滝」を参拝してきた。この河内道は富田林に出るんだが、この道を反対に真東に辿ると「日本武尊琴引白鳥陵」に出る。日本武尊は神武天皇から熊襲征伐を命ぜられ、成就すると関東征伐を命ぜられた。それも成就して大和に帰還する途次伊吹山の神(大猪に化身)と戦う破目になり負傷した。遂に伊勢の三重郡某所で脚が三重に折れて動けなくなり亡くなった。そのとき遺骸から白鳥が飛び立った。白鳥は大和の琴引の地に舞い降りた。そして舞い立つと河内の羽曳野に舞い降りた。そこを舞い立った後行方は知れない。それで日本武尊の白鳥陵は三重と琴引と羽曳野の三箇所にあるそう。白鳥陵の入口は人家の間の細い路地を抜ける。駐車場は付近に全くない。それから明日香村に入って走り回ったが不図「飛鳥資料館」に入って見ることに。これがホームランとなった。凄い資料が詰まっていてゆっくり時を過ごした。主にキトラ古墳発掘(壁画保存)と山田寺東回廊発掘保存の資料解説に興味が湧いた。特に山田寺については従姉の☆ちゃんの大切な思い出に関わることを知っていたので念入りに正確に情報を蒐集整理した。興福寺・国宝館に残る山田寺伝来の仏頭の運命の謎について、そして山田寺跡の現地を探訪。この日の夕方五時過ぎに「道の駅・宇陀路室生」に到着。遺憾なことにインターネットに繋がらなかった。最初にここに泊まったとき一発で繋がった、その嬉しさが忘れられなくてその後何度もここに泊まるが、二度と繋がらない。それでも最初の嬉しさ(山中の谷間なのに意外にも一発で繋がった)が忘れられなくて宇陀路に入るとついここを目指す。宇陀路は桜井市から名張市に向かう街道。沿道に長谷寺、室生寺などがある。何も発信することができないが今夜はここで泊まる。

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