2011年11月14日月曜日

〇黄檗山「萬福寺」を存じ上げなかったことの無知さ加減。

「萬福寺」を探訪してみて驚くばかりであった。何と言ってもこの大寺の存在が吾輩の知識から漏れていたことが驚きの元。所詮吾輩の知識など大したことはないことの証。この寺は壮大なだけではない、文化財として一見して重要と感じさせる。建造物は23棟が重文に指定されている。付属して回廊なども重文建造物に含まれているのだから、全山ほぼこれ重文と言っていい。掲額・対聯などの美術工芸品もほとんど全部が重文なのだからもの凄い。こんな寺がどうして吾輩の念頭に入る機会がなかったのか。それはこれまで吾輩の耳目に触れた本や報道などに表れていなかったからに違いないが、どうしてそんなことになったのか。不思議なので少しく考えてみた。まず法堂の背後は立入禁止区域になっており寺の全景図を見ると裏山に墓地が広がっていて「華僑墓地」との記載がある。この寺の檀家は華僑が主で日本人は少ないのではないか。それが国内でこの寺の馴染みが薄くて本・記事や報道で取り上げられることが稀な一因を成したのではないか。またこの寺は江戸時代初期に中国・明代の建築様式に徹して建てられ、読経や儀礼儀式は今も明代のままを踏襲しているという。寺院内の会話でさえも日本語でないという。これでは大いにとっつき難かろう。それで取り上げられることが稀だったのではないか。いずれにしても吾輩がこれだけの充実した大寺の存在すらも知らずにこれまで生きてきたのは事実である。その無知を恥じるべきだろう。そして国宝探訪の旅で残されたあと幾つかの国宝建造物の中に、長崎県「崇福寺(そうふくじ)」の「大雄宝殿(だいゆうほうでん)」と「第一峰門(だいいっぽうもん)」があることは意識していたが、そちらの寺もまた黄檗宗の唐人寺であることを知識として得た。長崎探訪の楽しみが倍加した。なお「大雄宝殿」の読みは、萬福寺では「だいおうほうでん」、崇福寺では「だいゆうほうでん」だそう。

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