2010年9月23日木曜日

9/23(木)、開聞岳、桜島、鹿児島神宮

昨夜半、風雨が窓の隙間から吹き込んで起こされた。今06:30、雷雨。暗雲が立ち込めて桜島は影も見えない。情けない鹿児島旅行となりそう。
朝方車内でうとうとして目覚めたら雨が止んでいる。薩摩半島東岸沿いの国道を指宿温泉に向けて出発。意外と遠い。指宿は大した温泉町には見えなかった。砂風呂が有名なだけか。通過。やがて「開聞岳」が正面に見えた。円錐形が素晴らしい。「長崎鼻」の道案内があったので開聞岳の手前で寄り草。岬の先端にまで土産物店がありその一軒にうまく乗せられて駐車、無料で買物をしなくても良いとの触れ込み。が、只より高いものはない結末になるのは分っていた。開聞岳が海上に浮かぶ構図の好い写真が撮れた。驚いたことに開聞岳が屹立する海岸線から「屋久島」「種子島」がはっきりそれと見える。両島が薩摩国に属することが実感できた。多分両島から徳之島が見え、徳之島からは奄美大島が見える。屋久島には宮之浦岳が聳え、種子島は平たい。半島からも島からも互いに見えるから、これらの島々は薩摩国に属するという連帯感が生じたんだろう。帰路は「池田湖」コースを取り湖岸から開聞岳を望見してみた。そのまま山上のスカイラインを辿った。鹿児島に近づくにつれて桜島が時々見えたが、雲を被り陽が当たらずで絵にならない。スカイラインから九州道にそのまま入り鹿児島の街は素通りしようとしたら、突如陽が射し出した。桜島が見違えるように明るくなった。で、方針変更し鹿児島市街へ、桜島フェリー埠頭へ。埠頭へ行く途中、市街地の中に城跡があり、その背後に城山が青々と横たわっていた。西郷隆盛が西南戦争で敗れて敗軍と共に鹿児島に戻りそこに籠って「もうこのあたりでよか」と自決した洞穴は城山にある。西郷の切腹した洞穴が市街地の中に存在する、そのことが意外。吾輩は城山の洞穴なるものは市街地から遠く離れた山中にあるものと思い込んでいた。埠頭から桜島を存分に撮った。それから湾岸沿いに国道を走り「鹿児島神宮」を目指した。目指しながらも《高千穂河原》に行く夢は抱き続け絶えず霧島山の上に懸かる厚い雲海の動向に注意を払ったが到底雲は晴れそうになかったので途中で諦めた。諦めたはいいが「鹿児島神宮」に辿り着けない。道案内がない。当然あると思ったのに全然ない。「鹿児島神宮」というと神社本庁あたりの位置付けはこうだ。天照大神の命により高千穂の峰に天孫降臨した初代ニニギノミコトは「霧島神宮」に祀られ、その二代目ホホデミノミコト(山幸彦)は「鹿児島神宮」に祀られ、三代目のカムヤマトイワレヒコノミコト(神武天皇)は「宮崎神宮」に祀られている。それほどの「鹿児島神宮」の発見のために隼人町ぢゅうを走り回った。「鹿児島神宮」と言いながら、鎮座地は大隅国旧隼人町。それから空港ICから九州自動車道に入りひたすら北上。八代ICを過ぎて疲れが出たので熊本の手前の「宮原SA」に入り込んで寝ることに。SAに入る直前のこと、走行車線の中に立ち往生しているワゴン車がいた。SAで寝ようとしていたら救急車がピーポー音をさせて一台、それからまた一台とSAに入って来て柵を開けて外に消えた。それにしても他人事ではない。吾輩のセレナはもう16万余km走っている、いつ高速で電気系統の不具合でエンジン停止になってもおかしくない。現に昔女房の車のプラグが切れてエンジンがうんともすんとも言わなくなったことがある、高速道ではなかったが。心構えの①、赤い三角形を直ちに取り出せるようにしておくこと。②エンジンが停止したら惰性を活かして車を路側帯に入れること、路側帯が狭かったらガードレールやロープに擦ってでも車線を明けること。車線の中に立ち往生することだけはあってはならない。

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