2010年9月8日水曜日

9/5(日)、芦峅寺(あしくらじ)「雄山神社」

「雄山神社」はその由緒沿革歴史を知らないと分り難い。「雄山神社」には三社ある、立山山頂の「峰本社(みねほんしゃ)」、芦峅寺の「中宮祈願殿(ちゅうぐうきがんでん)」、岩峅寺(いわくらじ)の「前立社壇(まえだてしゃだん)」。これら三社は三位一体の関係にある。神仏習合・修験道の時代に三社は三位一体で繁栄した。立山地獄を廻り峰本社に参詣する人達のために、芦峅寺には33宿坊、岩峅寺には24宿坊があった。明治維新の神仏分離・廃仏毀釈の嵐の中、修験道の宿坊はすべて廃れ、神社の堂宇は破壊され仏像は散逸した。前田藩の嵐の吹き方はことのほか厳しかったらしい。
芦峅寺「雄山神社」

境内

手水舎


右・神明社(三社の右から豊受大神宮、皇大神宮、麻続御祖社)。左・治国社(通称・宝童社、祭神・新川姫命)

斎戒橋。川を渡ると禊ぎをしたことになるのだろう

立山若宮

立山開山御廟


中宮祈願殿。明治維新まで芦峅大講堂と称したが、神仏分離で祈願殿と称することになった。

本殿・立山根本中宮(祈願殿の真後ろにある)。雄山の大神を始め、立山山中36社の神々を合祀。


立山大宮へ


立山大宮「立山権現麓芦峅中宮の末社、立山信仰の中心社堂で本殿・大拝殿と偉容を誇っていたが、明治初年山中よりの落石の災害に遭い両殿共に破壊された」。周囲の山を見回してもそのような気配はない、疑わしい、廃仏毀釈の被害に遭ったのでは。

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