2020年2月9日日曜日

★奥の細道紀行 第256章 金沢市片町(旧河原町)①「宮竹屋喜左衛門宅(芭蕉2泊目の地」)

金沢へ
奥の細道》《卯の花山(小矢部市の歌枕、曾良は源氏山に比定している)・くりからが谷をこえて、金沢は七月中(なか)の五日(15)也。爰に大坂よりかよふ商人何処(かしょ)と云者有。それが旅宿をともにす。一笑(いっしょう、芭蕉が頼んでいた金沢筆頭の門人)と云ものは、此道にすける名のほのぼの聞えて、世に知人も侍しに、去年の冬、早世(享年36)したりとて、其兄(一笑の兄)追善を催すに、
(つかもうごけ わがなくこえは あきのかぜ)
ある草庵にいざなはれて
(あきすずし てごとにむけや うりなすび)
 途中唫
(あかかと ひはつれなくも あきのかぜ)
曾良随行日記』『一 十五日 快晴。高岡ヲ立 。埴生八幡ヲ拝ス。源氏山、卯ノ花山也。クリカラヲ見テ、未ノ中刻(ひつじのちゅうこく・午後2時過ぎ)金沢ニ
京や(屋)吉兵衛ニ宿かり、竹雀(ちくじゃく)一笑(いっしょう)へ通ズ、艮(即)刻、竹雀・牧童(ぼくどう)同道ニテ来テ談。一笑、去十二月六日死去ノ由。
一 十六日 快晴。 巳ノ刻、カゴ(駕籠)ヲ遣シテ竹雀ヨリ迎、川原町宮竹や(屋)喜左衛門方へ移ル。段々各来ル。謁ス。
一 十七日 快晴。翁、②源意庵へ遊。予、病気故、不随。今夜、丑ノ比ヨリ雨強降テ、暁止。
一 十八日 快晴。
一 十九日 快晴。 各来。
一 廿日 快晴。③庵ニテ一泉(いっせん)饗(もてなす)。俳、一折有テ、夕方、野畑ニ遊。帰テ、夜食出テ散ズ。子ノ刻ニ成。
一 廿一日 快晴。高徹(こうてつ)ニ逢、薬ヲ乞。翁ハ北枝(ほくし)・一水(いっすい)同道ニテ④寺ニ遊。十徳二ツ。十六四(金銭出納の計算らしい)
一 廿二日 快晴。高徹見廻。亦、薬請。此日、一笑追善会、於□□寺(一笑塚のある「願念寺」と思われる)興行。各朝飯後ヨリ集。予、病気故、未ノ刻ヨリ行。暮過、各ニ先達 而帰。 亭主丿松(のまつ?)
一 廿三日 快晴。翁ハ雲口(うんこう)主ニテ⑥宮ノ越(今、金石町)ニ遊。予、病気故、不行。江戸へノ状認。鯉市(りし?)・田平(でんべい)・川源(せんげん)等へ也。徹(高徹)ヨリ薬請。以上六貼也。今宵、牧童・紅爾(こうじ?)等願滞留。
一 廿四日 快晴。金沢ヲ立。小春(しょうしゅん)・牧童・乙州(おつしゅう)、町ハヅレ迄送ル。雲口・一泉・徳子(とくし)等、野々 市迄送ル。餅・酒等持参。申ノ上尅、小松ニ着。竹意(ちくい)同道故、近江や(屋)ト云ニ宿ス。北枝随之。夜中、雨降ル。』
〇芭蕉の金沢一宿目の宿は「大阪から通う商人何処(かしょ)という者と同宿だったというから、それは宿屋だったろう。亰屋吉兵衛方。場所は不明。7月15日のこと。芭蕉来るの報せを聞いてこの宿に門人たちが集まって来たが、金沢で最も頼りにしていた一笑が最近早世していたことを知って芭蕉は落嘆する。
翌16日、門人竹雀(ちくじゃく)が駕籠を遣わして芭蕉を迎えに来た。移った先が河原(川原)町の宮竹屋喜左衛門宅。ここは誰か門人の邸だったろう。
↓ 金沢市片町の旧河原町十字路スクランブル交差点にある北国銀行片町支店の前に、人知れず「芭蕉の辻」の標石が立っている。宮竹屋はこの交差点の付近にあったに違いない。






 ↓「元禄二年初秋・蕉翁奥の細道途次道蹟」


〇芭蕉と曾良は金沢で九泊十日の日を過ごした。一日、宮ノ越(金石)にも足を延ばしている。

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