2020年2月18日火曜日

★奥の細道紀行 第287章 敦賀市⑥「出雲屋跡」(芭蕉宿泊の地)

奥の細道》 《かへるやまに初雁を聞て、十四日の夕ぐれ、つるがの津に⑥宿をもとむ。》
↓ 敦賀市街のレストラン梅田の前に、芭蕉の敦賀滞在一泊目の宿屋があったらしい。
 ↓ レストラン梅田前「芭蕉翁逗留出雲屋跡」碑
〇芭蕉が「出雲屋弥市郎方」に泊まったことは、次の「曽良随行日記」のメモから見てほぼ確実。
曽良随行日記』『九日 ゙・・・・・未ノ刻、ツルガニ着。先、気比へ参詣シテ宿カル。唐人ガ橋大和や久兵へ(大和屋久兵衛)。食過テ金ケ崎へ至ル。山上迄廿四五丁。夕(ゆう)ニ帰。カウノ(河野)ヘノ船カリテ、色浜へ趣。海上四リ。 戌刻(いぬのこく・午後8時)、出船。夜半ニ色(色浜)へ着。クガハナン所(陸は難所)。塩焼男導テ本隆寺へ行テ宿。
朝、浜出、詠ム。日連(蓮)ノ御影堂ヲ見ル。 十日 快晴 巳刻、便船有テ、上宮趣、二リ。コレヨリツルガヘモ二リ。ナン所。帰ニ西福寺へ寄、見ル。申ノ中刻(さるのちゅうこく・午後4時)、ツルガヘ帰ル。夜前、出船前、出雲や弥市良(出雲屋弥市郎)へ尋。隣也。金子壱両、翁へ可レ渡之旨申頼預置。夕方ヨリ小雨ス。頓 而止。』
★註 曽良が宿を借りた大和屋と出雲屋は隣同士だった。出船前、曽良は隣の出雲屋弥市郎を尋ねて、金子一両を差し出し、芭蕉翁が来たら渡してくれるよう頼んで預け置いた。芭蕉はこの出雲屋に宿泊する。
『一 十一日 快晴。天や(天屋)五郎右衛門尋テ、翁へ手紙認、預置。五郎右衛門ニハ不レ逢。巳ノ上尅、ツルガ立。午ノ刻ヨリ曇、涼シ。申ノ中刻、木ノ本へ着。』
★註 天屋五郎右衛門は、芭蕉の敦賀滞在中、特に色が浜を尋ねるにあたって船を手配し酒食を用意するなど尽力の限りを尽くして奥の細道紀行に花を添えた。

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