2020年2月18日火曜日

★奥の細道紀行 第283章 福井県南越前町④「湯尾(ゆのお)峠」

奥の細道》《鶯の関を過て、④湯尾峠(ゆのおとうげ)を越れば、燧が城。かへるやまに初雁を聞て、十四日の夕ぐれ、つるがの津に宿をもとむ。》
JR湯尾駅。


↓駅舎内の観光案内図。今庄駅の近く、湯尾駅側に《湯尾峠」がある。
〇今庄駅で踏切を渡ると旧今庄宿の街路が続く。昔、北国街道を旅する者は、福井から一日、敦賀・木ノ本からも一日の行程の今庄宿に必ず泊まったそう。繁盛した宿場町。その本陣跡に古老が居た。ので、湯尾峠と燧ヶ城の在り処を尋ねた。物知りな人で懇切に教えてくれた。いずれも近い。まず湯尾峠に向かうことに。この峠、今は人跡稀でかつての北国街道の面影は全く失われている。古老の教示がなければまずはたどり着けない。
↓湯尾峠登り口
縞蛇を踏みそうになった。長過ぎ。
↓これが旧北国街道


↓ やっと峠に着いた。
↓「湯尾峠は、海抜200m、八ヶ所山、三ヶ所山に囲まれた〇部にある。旧北陸道の要地として栄え、北ノ庄府中からこの峠を廻り、今庄宿、木の芽峠、栃ノ木峠を経て京都に達した。古峠は現在地より東方100mにあり源平時代の燧城の戦いで木曾義仲が一部を改修したので、義仲道ともいわれていた。現在の道は天正6年(1578)北ノ庄城主柴田勝家によって大改修が加えられた。頂上には、疱瘡の神を祀る孫嫡子神社、そのお守り札を売る茶屋が4軒あって大いに栄えたと云われている。元禄2年奥の細道を旅した松尾芭蕉は、この地で「月に名を つつみかねてや いもの神」の句を残している。明治11年明治天皇北陸御巡幸の時に、御小休みされたので記念碑が建てられている。約1000有余年の歴史を秘めたこの峠も、時代の伸展に伴い、明治29年鉄道の開通によって次第にさびれて7現在に及んでいる。今庄町教育委員会」
↓「孫嫡子神社」 痘瘡の神を祀る。
↓峠から下って行く方・南条側を見る。海抜200m。
↓登って来た側・今庄側を見る。
↓「明治天皇湯尾峠御小休所址」
松尾芭蕉の句碑
↓《月に名を つつみ兼てや いもの神
「いもの神」とは、痘瘡除けのおまじないの護符で家の軒下にぶら下げたらしい。湯尾峠には往時このお守り札を売る茶屋が四軒あって栄えたそう。
↓南条・福井方面
↓戻りの下り道。今庄・敦賀方面。

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